製作中の小品「超限戦」序章より。
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雲間から、赤い満月が出た。
白い蒸気以外に突き刺さることを許された月光が、細剣のように下界を夜から切りわけつつ地上をめざす。
しかし、彼らが突き進む先には、いつもの宵禁(夜間外出禁止令)に押しつぶされた異常な静寂ではなく、ざわめきと怒鳴り声に支配された街中があった。
天井から降りそそぐ赤い光をはねのけるように、橙色の彗星が百数十本、地上を流れてゆく。
彗星の核は、それぞれ頑丈な手と腕につながっていた。
左手で松明を持ち、右手で手綱を操る騎兵たちが、すでに鳴り物の音さえちらほらと聞こえる非法の都市をめざして駆けていたのだ。
彼らの後方には、音もなく騎馬を追う徒士の列がつづく。
関所をほとんど破る格好で市域へつづく峠を越えたとき、兵たちは絶句した。
眼下に見えるのは、故府とよばれる都市。名前のとおり千五百年ほどの歴史を持つが、今ではどうということもない、ただの旧市だ。
しかし、今夜の故府は、なにもかもがいつもと違う。
子刻(午後十一時)以降の外出が禁じられている住民たちが、大挙して外に出ている。
それだけでなく、あちこちで気勢を上げ、どこから持ち出してきたのか大灯明を先頭に、提灯行列さえ始めるありさまだ。
反対に、彼らに教養を与えるはずの兵士はまったく姿が見えない。
城壁のかわりに山や川や池が市域をくぎっているこの都府で、それら市境の警備についている軍団の屯所や浮舟には、門や船橋で篝火が燃えているのみ。
歩哨や巡卒がかならず持たされる、つまり静止しているはずのない松明は、丘の上から市内のどこを探しても見受けられなかった。
「これは、どういうことでしょう」
はやる馬をすばやく落ち着かせた、剽悍というべき気を周囲に放っている若い騎兵が、彼らの先頭にいる騎兵へとささやくように話しかけた。
先頭の騎兵は、すでに無言で町の騒ぎを見守っている。
馬を彫像のようにとどめたまま、彼は重苦しく唇を動かした。
「はやるな。今のわれわれに分かっていることは、双寺労働教養所から周辺の軍営へ、何者かの襲撃を知らせる光碼(発光通信で使われる略号)が伝えられたことだけだ。
もっとも、たった半刻(一時間ほど)でこれほどの騒ぎになっているということは、他の部隊はまだ到着していないのだろうが」
高強度の陶材(セラミックス)で作られた半球体の兜を右手の親指でずり上げ、騎兵は故府の街を見下ろしつづけた。
留め具がついた前合わせの軍衣は、両の肩口に金糸で三つの星印がぬいとられている。
連長(徒士をふくめ、二百人ほどの部隊の長)をしめすその印が誰にも見えなくなるまで左手の松明を高く掲げた彼は、これまで規則的に左右へ振っていた視線の振れ幅を大きく広げた。
思ったとおり、視界の両端で、大きな動きを見つける。
街の東から駆けてきた騎兵たちにとって、視界の両端とは南北を意味する。
そして北では市内へ突入しようとして住民に阻まれている軍勢がおり、南ではあろうことか軍営のあるあたりから火がいくつか出ていた。
快速反応隊としてあるまじき失態だ。これでは門閥の名が泣く。
小さくため息をついた隊長は、その時。
もうひとつの異変に、気づいてしまった。
「待て・・・」
「連長」
号令を発した直後、若い騎兵が困惑の深まった声でまたささやく。彼も気づいたらしい。
「ああ。これは、どういうことだ」
「見当もつきません」
隊長は無意識のうちに、先の質問者と同じことを口走っていた。
故府の中心から少し南にはずれた場所に、騒がしい市街のなかで不気味な沈黙をみせる区域がある。
彼らが出撃してきた、また故府の南北から軍団が市街へ向かおうとしていた理由そのものである、双寺労働教養所。
一般的な言葉でいえば牢城とか強制収容所ということになるその城館の防壁は、いつもなら明かりもまばらで静かな故府の街のなかで、ぼうっと首飾りのように光る輪をかたちづくっているはずなのだ。
しかしいま、首飾りは多くの宝石が抜け落ちている。
状況は、市境警備の軍団とまったく変わらず、厳密にはそれよりひどかった。
兵士の松明が見えないばかりか、かなりの数の篝火が消えてしまっている。
さらに、彼の知るかぎり一日中明かりの絶えない工廠棟も、暗闇のなかで異様に静まりかえっていた。
「連を分けるぞ。
第一旗(連を構成する単位。徒士をふくめ、六十人ほどの部隊)および第二旗は私に続け。これより労教へ突入する。
第三旗は逢坂関を封鎖して待て。一刻たって戻らなければ、いそぎ大谷通信塔へ早駆けを送り、状況を総督閣下に知らしめよ。
われわれを援護しようなどと考えるな、なんとしても異変を故府の中へおさえこむのだ。
叛徒がいかなるものであれ、これだけの騒乱を市の全域にひきおこし、そのうえ労教を沈黙させる力量の持ち主だ。
蛮族とはいえ油断はならん。ゆけっ」
無駄と言えるほど小さく、それでいて腹の底に響く隊長の声とともに、分行動を命じられた第三旗は来た道を引き返していった。
狭いながらも平坦な土地で扇形に広がっていた騎兵と徒士が、山形に姿を変える。
無言で駆け出した隊長に続きながら、しかし兵たちは胃の腑が徐々に縮んでゆくような不安を感じていた。
叛徒とは、いったいどこの手勢なのか?
それに、なぜ双寺労教が沈黙しているのか?
軽犯罪者の下民ばかり収監される労教を、わざわざ襲う必要がどこにある?
数々の疑問を頭に浮かべながら、それでもたくみな手綱さばきで、隊列は市境の川を横目に南下していった。中心部は騒乱が大きすぎるので、南方へ迂回してから市内に入ろうというわけだ。
隊長は労教進入を優先し、騒いでいる住民は二の次にしようと最初から決めている。暴徒を相手にしていては、いつまでたっても目的地にたどり着けない。
だが、その明晰な頭脳がうまく働くのも、突入の直前までだった。
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こんな感じです。

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