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東海の北辺に、扶桑群島という島の連なりがある。
扶桑の民は倭族とよばれ、古くから文明の恩恵にあずかってきた。
「三国志」によれば、漢朝の時代に天子への拝謁を願い出てから朝貢をつづけ、中華の文化をよく学んでいた。
東夷の遠いはずれにありながら、何十人もの留学生を送ってきたこともある。
だが、ひとたび中原が乱れると天領の侵食はなはだしく、あるときは倍達国を略取し、あるときは関外と盟約をむすび、はなはだしくは江北七省を陥とすことすらもあった。
そのため、今上朝は多くの夷狄のなかでも倭族をとくに警戒した。
そのかいあって、第七代神宗の御世には、ふたたび扶桑を中華の武威のもとへ服させることができた。
ところが、このころの倭族は中華の文明に何のありがたみも感じなくなっており、それどころか武力にうったえた天朝へ恨みさえも抱いていた。
そこで神宗は、近国の倍達に勅を発して、よく諭すよう命じた。
倍達の民は高麗族とよばれ、古くは扶桑の朝貢使をしたててやり、また新しくは扶桑とともに国を興すなど、彼らと関係のふかいものが多く住んでいたためだ。
それ以来、扶桑のことは高麗族にきけ、というのが漢人の常識になっている。
扶桑に入る漢人など、都督府の官人ぐらいのものだった。
少なくとも、今までは。
最初に動いたのは、耳だった。
無遠慮きわまりない鳴き声。当たり前だ、犬なのだから。
だが明らかな断末魔ともなれば、遠慮がどうのといっていられない。
そこで犬の飼い主、河合彰義はとっさに考えた。
自慢ではないが、草葺の平屋。まだ本土の大飢饉が及んでいない扶桑では、略奪に来るには向かないとすぐわかる家だ。
気配は二人分。無頼漢にしても、腕はないと見ていい。
だが、囲炉裏の火を落としてもう長い。枕元の有明行灯(小型の行灯)の光だけを頼りにここを見つけたのなら、それなりの能力はあるのか。
そんなことを考えて脇の長刀をひきよせ、低く問う。
「夜も遅くに、どなたですか」
相手が誰だかわからない以上、敬語を使うに越したことはない。
扉の向こうで、誰かが息をのんだ。
こちらが起きたのが、そんなに予想外か。悪かったな。
「拙僧たちは旅のものだ。宿場を通りすぎてしまったので、今夜一晩の宿をお願いしたい」
返ってきたのは、かなり若い男の声だった。
語尾が震えているのを隠すように、わざと横柄な口調を使っているようだ。それにしても拙僧といいながら、それが宿をたのむ仏教者の態度か。
「このようなあばら屋で、よろしいものでしょうか」
へりくだりながら、言外に断ってみる。
「これも何かのご縁。どうかお願いしたい」
無視された。
なお悪いことに、河合は気づいてしまった。
こいつの言葉は、中原官話だ。
中原官話は、もちろん中原の方言だ。
そして、扉の向こうにいるのは仏僧。
中原の仏教といえば少林寺が通り相場、とうぜん倭族ではなく高麗族だろう。少林派の高麗族とこれ以上の問答を続けても、面倒になるだけだ。
最近は少林寺も、とまらない治安の悪化で神経過敏になり、最近は舌より腕のまわりが早いという噂がある。とくに扶桑で権勢をふるう高麗族ならなおのこと、下手をすればこんなぼろ屋など、扉を壁ごと蹴倒されかねない。
あきらめた河合は、寝巻きの帯に刀を腰に差してから懐提灯(折りたたむと上下の蓋が合わさる、円筒状の提灯)へ火を移し、手に掲げて扉を三寸ほど開けた。
扉の前にいたのは、雲水(旅の仏僧)姿の若い男と娘だった。
さっきえらそうな口を利いたのは、この雲水らしい。娘のほうは長衣(チャンオッ。高麗服で、女性の上衣)と裳襦(チマチョゴリ。女性用の高麗服)らしき上下もうす汚れ、本人に至ってはかなりやつれた顔だが、袖からのぞく左のこぶしが白くなっている。
距離的にも精神的にも、かなりの強行軍だったようだ。
「失礼ですが、ご尊名は?」
かなり警戒しているような口ぶりが効いたのだろう、雲水がはっとした顔になる。
「いや、これは申し訳ない。拙僧は空離、見てのとおり仏門の徒だ。こちらは、ご縁あって帯同させていただいている馮お嬢さん」
ためらいなく名を口にするあたり、とくに追われている訳でもないようだ。もちろん偽名かもしれないが、そんなことを言っていては話が進まない。
「・・・どうぞ」
まだ警戒を解いちゃいないぞ、と顔全体で示しつつ、それでも河合は二人を家に招きいれた。
土間と板の間しかない家を照らしつつ、背後の雲水に聞いてみる。
「お坊さまがたは、歩いていらしたのですか?」
「いや、馬だ」
「では牽いてきましょうか」
「お気遣いありがたいが、すでに近くへ繋いである」
「はあ」
こいつら最初からいすわる気だったな、河合は腹の中で毒づいた。
これだから高麗族は嫌いなんだ。あいつらだって同じ蛮族のくくりなのに、中華文明のにない手は自分たちしかいないと思い込んでやがる。
腹が立った河合は、いざという時のために保管しておいたなけなしの干飯を、空離とかいう雲水ではなく、馮というらしい娘へ先に渡した。
理由はなくもない。
どうみても疲れているのは雲水より彼女の方だったし、先ほどから一言も声を発していないのが気になっていたのだ。
雲水も文句を言わなかったので、河合は安心して、白湯を沸かしにかかった。
慎みを感じさせつつ、それでもかなりの速度で干飯と野菜の浸しをたいらげたとたん、安心したのか疲れが出たのか、“馮お嬢さん”はその場で寝息をたてはじめた。
空離が彼女を床に寝かせ、自分の羽織っていた上着をかける。
河合も、とくに何も言わない。
彼が使っているたった一枚の毛布はいいかげんすりきれて、客人に使えばむしろ無礼にあたるしろものだった。
そうでなくとも、倭族が日ごろ使っていたものを彼らが使いたがるのかどうか、河合には自信がない。
出された座布団が汚れていたといって、見廻りにきた高麗族の官人が里の組頭を無礼打ちにしたのは、あれは去年のことだったろうか。
被災者扱いされた彼の葬儀では、河合も召集されたものだ。
そんなことをつらつらと考えていると、馮お嬢さんにつづいて食器をきれいにした空離が、それらを脇にのけてこちらに目を向けていた。
「いかがなされました?」
視線に気づかれたのが腹立たしいのか、空離は河合をにらむ。
「いや、なんでもない」
「何か、お気に障ることでも?」
「気に障ることならないでもないが・・・いや、この家ではなく、道のりでな」
そういったきり、黙っている。
何か話したがっているのだと、河合は見当をつけた。
ああ言えば、近くで何か変わったことがあったのかとこちらが興味を持つ、そこでしぶしぶ事情を説明するという腹だろう。
なんとなく不愉快になったが、彼は話を続けることにした。
里から離れた場所に住んでいれば、いやでも情報に疎くなる。月に一度、知人と会うことになってはいるが、彼が前に来たのは数週間前だ。
相手が誰でも、情報はほしい。タダでくれるならなおさらだ。
「何か、あったのですか?」
「ああ」
誘いに乗ると、空離はいきなり声を低くした。
眠っている馮お嬢さんを起こさないための気遣いばかりではない。あきらかに、そのままの話し方では声が大きくなると予測して押し殺している。
「村が焼けていた。住んでいた者たちが、皆殺しにされたあとでな」
「は?」
「だから。村がひとつ、丸ごと皆殺しにされたのだ」
なんだ。
そんなことか。
一瞬でしらけた河合に気づかぬようすで、空離は自分たちの旅路を事細かに話しはじめた。
空離は俗名を馮地瑞といい、馮お嬢さんは同郷の親戚だった。
彼の実家は湖南の農村地帯で、流れ者の子孫にしては破格の土地を持っていた馮一族も、当然のように大地主(たまに官人の御用聞き)として生活している。
だが、彼らの領地は特に土の質がよい。
あまりに多い税を課すこともないため、小作人の評判もいい。
そんな調子なので、近辺の雇われ者や流賊がくりかえし襲ってくる。
馮家が土地持ちになってすぐのころに、二十年ばかりそういうことが続いたため、世代のひとりにどこかで拳法を学ばせ、その代の護身術とするのが慣わしになっている。
とはいえ、彼らだけで広大な領地の治安は守れないので、腕に覚えのあるものを近隣から集め、時には襲ってきた資格や龍族などから人員を引き抜いて、馮家につながる隊商を警備させたりしていた。
ところが、地瑞の代には彼のほかに、もうひとり功夫(肉体的・気功的な素質)に秀でたものが出た。
それが、馮お嬢さんである。
馮家警備隊の屯所でもある近くの道観(道教寺院。所によって武術の道場もかねていた)で見てもらった結果、彼らは二人とも中原の道場で武術と気功を学ぶことになった。
見立てをおこなった坤道(女の道士)も、地元ではひとかどの武芸者として通っていた。だが、彼女は自分よりもはるかに素質のある二人を、洗練された武門のない南方でくさらせるわけにはいかないと考えたのだ。
南方に、優れた武術がないわけではない。
鏢局(運送・警備企業。武芸者が学ぶ場でもある)や道場、秘術の数でいえば、むしろ中原より多い。人口密度と貧富の差があるので、荒事も絶えないからだ。
だが、南方は単に門派が乱立しているというだけで、内容も喧嘩殺法を体系化しただけのようなものが多い。それどころか、門派を名乗ってさえいない連中がかなりいる。
つまり、地瑞や馮お嬢さんがめざすような、武の道をきわめようとする正統派は、南方では世間に出てこないのだ。
彼女はすぐに、筆を取った。
外功(外家功夫。力技)にすぐれ、内功(内家功夫。心気の技)にも成長の余地がある地瑞は、拳法の名門である曹洞宗少林派に。
内功にすぐれた馮お嬢さんは、気功法の名門であるとともに護身剣術も指南する全真道崋山派に。
それぞれ、紹介するためだ。
彼ら二人は無事に入門をとげ、蒙をひらく時期こそ遅かったものの、師ですら目をみはる速さで成長をとげていった。
そして、それから数年がたったころ。
時は、今上帝の初年。
先帝の末期、五帝家すべての血を引くと自称して権力をにぎった、黒衣禁衛の江済世総衛(将軍)はすでに故人となっていたが、彼の後継者によって政治はみだれ、無策のつけは民に押しつけられていた。
皇帝府はといえば、皇統を一本化しようと宮廷劇に走りまわるばかり。
さらに水害や干害がつづき、暴動にまで発展しつつあった。
大規模な暴動は、まず湖南で起きた。
古くから「熟すれば天下足る」といわれた湖広の土地は、天下を食べさせることはできても地元住民を食べさせることはできなかったのだ。
つまり、収穫のかなりの部分を帝都に持っていかれたわけである。
悪いことに、馮家は総督の命で、州の穀物流通をとりしきっていた。
暴動の数週間後、少林寺で空離と名乗っていた地瑞のもとに、馮家炎上の報が届いた。
先帝の誅殺から、半年ほどたったころである。
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ここから主人公にどうつなげようかな。
もうつなげなくていいかな。
