2009年8月31日月曜日

習作その6 超限戦 第一章その1(仮)

本編を試験うp。




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 東海の北辺に、扶桑群島という島の連なりがある。



 扶桑の民は倭族とよばれ、古くから文明の恩恵にあずかってきた。

 「三国志」によれば、漢朝の時代に天子への拝謁を願い出てから朝貢をつづけ、中華の文化をよく学んでいた。
 東夷の遠いはずれにありながら、何十人もの留学生を送ってきたこともある。

 だが、ひとたび中原が乱れると天領の侵食はなはだしく、あるときは倍達国を略取し、あるときは関外と盟約をむすび、はなはだしくは江北七省を陥とすことすらもあった。


 そのため、今上朝は多くの夷狄のなかでも倭族をとくに警戒した。
 そのかいあって、第七代神宗の御世には、ふたたび扶桑を中華の武威のもとへ服させることができた。

 ところが、このころの倭族は中華の文明に何のありがたみも感じなくなっており、それどころか武力にうったえた天朝へ恨みさえも抱いていた。

 そこで神宗は、近国の倍達に勅を発して、よく諭すよう命じた。
 倍達の民は高麗族とよばれ、古くは扶桑の朝貢使をしたててやり、また新しくは扶桑とともに国を興すなど、彼らと関係のふかいものが多く住んでいたためだ。

 それ以来、扶桑のことは高麗族にきけ、というのが漢人の常識になっている。
 扶桑に入る漢人など、都督府の官人ぐらいのものだった。





 少なくとも、今までは。
 




 






 最初に動いたのは、耳だった。

 無遠慮きわまりない鳴き声。当たり前だ、犬なのだから。
 だが明らかな断末魔ともなれば、遠慮がどうのといっていられない。

 そこで犬の飼い主、河合彰義はとっさに考えた。

 自慢ではないが、草葺の平屋。まだ本土の大飢饉が及んでいない扶桑では、略奪に来るには向かないとすぐわかる家だ。
 気配は二人分。無頼漢にしても、腕はないと見ていい。
 だが、囲炉裏の火を落としてもう長い。枕元の有明行灯(小型の行灯)の光だけを頼りにここを見つけたのなら、それなりの能力はあるのか。

 そんなことを考えて脇の長刀をひきよせ、低く問う。


「夜も遅くに、どなたですか」

 相手が誰だかわからない以上、敬語を使うに越したことはない。
 扉の向こうで、誰かが息をのんだ。
 こちらが起きたのが、そんなに予想外か。悪かったな。

「拙僧たちは旅のものだ。宿場を通りすぎてしまったので、今夜一晩の宿をお願いしたい」

 返ってきたのは、かなり若い男の声だった。
 語尾が震えているのを隠すように、わざと横柄な口調を使っているようだ。それにしても拙僧といいながら、それが宿をたのむ仏教者の態度か。

「このようなあばら屋で、よろしいものでしょうか」

 へりくだりながら、言外に断ってみる。

「これも何かのご縁。どうかお願いしたい」

 無視された。
 なお悪いことに、河合は気づいてしまった。



 こいつの言葉は、中原官話だ。


 
 中原官話は、もちろん中原の方言だ。
 そして、扉の向こうにいるのは仏僧。

 中原の仏教といえば少林寺が通り相場、とうぜん倭族ではなく高麗族だろう。少林派の高麗族とこれ以上の問答を続けても、面倒になるだけだ。
 最近は少林寺も、とまらない治安の悪化で神経過敏になり、最近は舌より腕のまわりが早いという噂がある。とくに扶桑で権勢をふるう高麗族ならなおのこと、下手をすればこんなぼろ屋など、扉を壁ごと蹴倒されかねない。

 あきらめた河合は、寝巻きの帯に刀を腰に差してから懐提灯(折りたたむと上下の蓋が合わさる、円筒状の提灯)へ火を移し、手に掲げて扉を三寸ほど開けた。



 扉の前にいたのは、雲水(旅の仏僧)姿の若い男と娘だった。
 さっきえらそうな口を利いたのは、この雲水らしい。娘のほうは長衣(チャンオッ。高麗服で、女性の上衣)と裳襦(チマチョゴリ。女性用の高麗服)らしき上下もうす汚れ、本人に至ってはかなりやつれた顔だが、袖からのぞく左のこぶしが白くなっている。
 距離的にも精神的にも、かなりの強行軍だったようだ。

「失礼ですが、ご尊名は?」

 かなり警戒しているような口ぶりが効いたのだろう、雲水がはっとした顔になる。

「いや、これは申し訳ない。拙僧は空離、見てのとおり仏門の徒だ。こちらは、ご縁あって帯同させていただいている馮お嬢さん」

 ためらいなく名を口にするあたり、とくに追われている訳でもないようだ。もちろん偽名かもしれないが、そんなことを言っていては話が進まない。

「・・・どうぞ」

 まだ警戒を解いちゃいないぞ、と顔全体で示しつつ、それでも河合は二人を家に招きいれた。



 土間と板の間しかない家を照らしつつ、背後の雲水に聞いてみる。

「お坊さまがたは、歩いていらしたのですか?」

「いや、馬だ」

「では牽いてきましょうか」

「お気遣いありがたいが、すでに近くへ繋いである」

「はあ」

 こいつら最初からいすわる気だったな、河合は腹の中で毒づいた。
 これだから高麗族は嫌いなんだ。あいつらだって同じ蛮族のくくりなのに、中華文明のにない手は自分たちしかいないと思い込んでやがる。



 腹が立った河合は、いざという時のために保管しておいたなけなしの干飯を、空離とかいう雲水ではなく、馮というらしい娘へ先に渡した。
 理由はなくもない。
 どうみても疲れているのは雲水より彼女の方だったし、先ほどから一言も声を発していないのが気になっていたのだ。

 雲水も文句を言わなかったので、河合は安心して、白湯を沸かしにかかった。





 慎みを感じさせつつ、それでもかなりの速度で干飯と野菜の浸しをたいらげたとたん、安心したのか疲れが出たのか、“馮お嬢さん”はその場で寝息をたてはじめた。

 空離が彼女を床に寝かせ、自分の羽織っていた上着をかける。
 河合も、とくに何も言わない。
 彼が使っているたった一枚の毛布はいいかげんすりきれて、客人に使えばむしろ無礼にあたるしろものだった。

 そうでなくとも、倭族が日ごろ使っていたものを彼らが使いたがるのかどうか、河合には自信がない。

 出された座布団が汚れていたといって、見廻りにきた高麗族の官人が里の組頭を無礼打ちにしたのは、あれは去年のことだったろうか。
 被災者扱いされた彼の葬儀では、河合も召集されたものだ。


 そんなことをつらつらと考えていると、馮お嬢さんにつづいて食器をきれいにした空離が、それらを脇にのけてこちらに目を向けていた。

「いかがなされました?」

 視線に気づかれたのが腹立たしいのか、空離は河合をにらむ。

「いや、なんでもない」

「何か、お気に障ることでも?」

「気に障ることならないでもないが・・・いや、この家ではなく、道のりでな」

 そういったきり、黙っている。

 何か話したがっているのだと、河合は見当をつけた。
 ああ言えば、近くで何か変わったことがあったのかとこちらが興味を持つ、そこでしぶしぶ事情を説明するという腹だろう。

 なんとなく不愉快になったが、彼は話を続けることにした。
 里から離れた場所に住んでいれば、いやでも情報に疎くなる。月に一度、知人と会うことになってはいるが、彼が前に来たのは数週間前だ。
 相手が誰でも、情報はほしい。タダでくれるならなおさらだ。


「何か、あったのですか?」

「ああ」

 誘いに乗ると、空離はいきなり声を低くした。
 眠っている馮お嬢さんを起こさないための気遣いばかりではない。あきらかに、そのままの話し方では声が大きくなると予測して押し殺している。

「村が焼けていた。住んでいた者たちが、皆殺しにされたあとでな」

「は?」

「だから。村がひとつ、丸ごと皆殺しにされたのだ」



 なんだ。
 そんなことか。



 一瞬でしらけた河合に気づかぬようすで、空離は自分たちの旅路を事細かに話しはじめた。





 空離は俗名を馮地瑞といい、馮お嬢さんは同郷の親戚だった。

 彼の実家は湖南の農村地帯で、流れ者の子孫にしては破格の土地を持っていた馮一族も、当然のように大地主(たまに官人の御用聞き)として生活している。
 だが、彼らの領地は特に土の質がよい。
 あまりに多い税を課すこともないため、小作人の評判もいい。

 そんな調子なので、近辺の雇われ者や流賊がくりかえし襲ってくる。
 馮家が土地持ちになってすぐのころに、二十年ばかりそういうことが続いたため、世代のひとりにどこかで拳法を学ばせ、その代の護身術とするのが慣わしになっている。
 とはいえ、彼らだけで広大な領地の治安は守れないので、腕に覚えのあるものを近隣から集め、時には襲ってきた資格や龍族などから人員を引き抜いて、馮家につながる隊商を警備させたりしていた。

 ところが、地瑞の代には彼のほかに、もうひとり功夫(肉体的・気功的な素質)に秀でたものが出た。

 それが、馮お嬢さんである。


 馮家警備隊の屯所でもある近くの道観(道教寺院。所によって武術の道場もかねていた)で見てもらった結果、彼らは二人とも中原の道場で武術と気功を学ぶことになった。
 見立てをおこなった坤道(女の道士)も、地元ではひとかどの武芸者として通っていた。だが、彼女は自分よりもはるかに素質のある二人を、洗練された武門のない南方でくさらせるわけにはいかないと考えたのだ。

 南方に、優れた武術がないわけではない。
 鏢局(運送・警備企業。武芸者が学ぶ場でもある)や道場、秘術の数でいえば、むしろ中原より多い。人口密度と貧富の差があるので、荒事も絶えないからだ。
 だが、南方は単に門派が乱立しているというだけで、内容も喧嘩殺法を体系化しただけのようなものが多い。それどころか、門派を名乗ってさえいない連中がかなりいる。
 つまり、地瑞や馮お嬢さんがめざすような、武の道をきわめようとする正統派は、南方では世間に出てこないのだ。

 彼女はすぐに、筆を取った。
 外功(外家功夫。力技)にすぐれ、内功(内家功夫。心気の技)にも成長の余地がある地瑞は、拳法の名門である曹洞宗少林派に。
 内功にすぐれた馮お嬢さんは、気功法の名門であるとともに護身剣術も指南する全真道崋山派に。
 それぞれ、紹介するためだ。

 彼ら二人は無事に入門をとげ、蒙をひらく時期こそ遅かったものの、師ですら目をみはる速さで成長をとげていった。

 そして、それから数年がたったころ。



 時は、今上帝の初年。

 先帝の末期、五帝家すべての血を引くと自称して権力をにぎった、黒衣禁衛の江済世総衛(将軍)はすでに故人となっていたが、彼の後継者によって政治はみだれ、無策のつけは民に押しつけられていた。
 皇帝府はといえば、皇統を一本化しようと宮廷劇に走りまわるばかり。
 さらに水害や干害がつづき、暴動にまで発展しつつあった。

 大規模な暴動は、まず湖南で起きた。
 古くから「熟すれば天下足る」といわれた湖広の土地は、天下を食べさせることはできても地元住民を食べさせることはできなかったのだ。

 つまり、収穫のかなりの部分を帝都に持っていかれたわけである。



 悪いことに、馮家は総督の命で、州の穀物流通をとりしきっていた。





 暴動の数週間後、少林寺で空離と名乗っていた地瑞のもとに、馮家炎上の報が届いた。

 先帝の誅殺から、半年ほどたったころである。

 



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ここから主人公にどうつなげようかな。

もうつなげなくていいかな。

2009年8月23日日曜日

習作その5

そろそろ本当に本編どうにかしないとな。




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 あれから、その場にあった地図を片っ端から見てました。
 念のために、観光ガイドや都市情報雑誌もあらかた目を通しました。
 信用できないので、社会の教科書や地理の参考書も読みました。

 で、結論。
 最初の地図は間違っていなかった。



 いや、そうなっちゃうんだよ。
 何を見ても、ほかの本と矛盾点のかけらもない記事が並んでる。
 ドッキリだとしたら、相当金がかかってると言うしかない。映画のセットにでも迷いこんだ気分だ。

 たとえば、最後に開いた小学生用の社会教科書。
 見返しのところに、わかりやすい日本地図がある。
 で、白地図に都道府県の境が入ってるんだが。

 青森から鹿児島までしか描いてない。
 しかも表題がこんなの。

「おぼえよう! 三府四十五県」

 ちょっと待てと。

 あわててその地図で府県の数をカウントしてみる。
 俺が習った日本の地理だと、第一級行政区は「一都一道二府四十三県」だったはずだ。



 だが俺の願いもむなしく、確かにその地図には、三府四十五県が書かれていた。





 




 北海道は日本に入らないらしい。東京は都が府になっている。だから、都と道がないわけね。
 三府は東京・京都・大阪。
 そして、四十五県は変則的だった。
 
 基本的なところはほとんど同じだが、こまかいところで県境が変な方向へ分かれている。
 たとえば浜松県と海鳴県が、その代表だ。
 ほかにこうやって分割されている県がふたつあり、こっちも日本領じゃなくなってる沖縄県が抜けたので、つごう四十五県。小学生にしてみればキリのいい数で覚えやすいのかもしれないが、いったん覚えてしまった俺としては迷惑極まりない。

 そうそう、新幹線だけど。
 “ここ”では、中央新幹線が大動脈みたいです。

 中学生用の地理の参考書によれば、明治のえらい人が
「東海道に鉄道をつくったら船便と客のとりあいになって発展しないし、海ぞいだと外国の攻撃に弱いから、線路は山側に敷こう」
 と言ったらしく、それからずっと中央線がメインらしい。
 ここ海鳴や名古屋など、徳川系の町を路線からはずす腹もあったとか。
 山縣のクソジジイ、よけいなことを・・・。

 さて。
 ここまで来て、状況に人為的な理由はまずあるめえ。
 普通に「越境通学だからけっこうかかる」とかしゃべってた客もいたし。
 だいたいJR巻き込んでドッキリかまして誰得って話だよ。

 となると、現状を説明できる言い分はみっつ。



 ・俺は正気で、まわりの世界がデタラメ(異世界転移)
 ・まわりの世界は元々このままで、俺が狂っている(精神異常)
 ・夢
 



 というわけで、俺はこの問題について考えるのをやめました。





 突っ込みを入れる前に、話を聞いてくれ。
 いやだって、俺の頭ではこれぐらいの理屈しか浮かばんかったんよ。
 しかも現状、どれか確かめる方法なんてわからんし。

 たとえば仮に、俺が狂っていたとする。
 イコール自分が狂っているとは自覚できないわけだから、周りが狂ってると決めつけることになる。

 んで、実は本当に俺が正気だったとする。
 でもまわりはみんなデタラメ世界の人間なわけだから、俺の疑問に答えてくれるようなヤツはいないと見ていい。
 むしろ、ここ基準では狂ってるの俺だし。

 最後、実は夢だとする。
 ますますわからなくなるだけだろ。

 てなわけで、どうにしろ俺には確認できないと。

 確かに、俺みたいに正気を保ってる/狂ってる人間が、他にもいるかもしれないとは思ったさ。
 でも周りの人をとっつかまえて質問攻めにしてる人間とか、地図やらなにやらを必死こいて読みこんでるやつは、俺の視界にはいなかった。
 だから、少なくともいま俺の近くにはいない。

 というようなことを考えつつ自分を落ち着かせて、今後の方針を決める。



 原点に戻ろうじゃないか。
 俺が知りたかったのは「ここはどこ」だ。
 まあ満足のいく結果ってわけじゃないが、ともかく駿河湾岸の海鳴にいるのはわかった。大収穫だ。

 じゃ話を進めます。
 俺が次に知りたいことはなにか。

 ・どうやって帰る

 こうなる。
 一応、里帰り中の異常事態だ。家に帰れなきゃ意味がない。
 さっきの地図を見るかぎり、神奈川県は特に異常ないみたいだし。これで故郷が北海道とかだったらパスポートが必要になってるとこだが、まあたぶん実家近辺に変わったところはないはずだ。
 なんせ通信隊がいるだけの、陸の孤島だしね・・・。

 現実逃避なんて言わないでくれ。
 実際それしかやることが思いつかなかったんだから、しょうがないじゃないすか。
 おファンタジアや春秋戦国な世界ならともかく、地名以外はほとんど記憶のなかの世界と同じようなところを異世界とか夢世界と呼ぶのは、さすがに抵抗があるんだ。

 さて、帰省するわけだが。
 ここで問題になってくるのが、例の線路上の障害物。
 ホームがけっこうあわただしくなってるところを見ると、JRもあせっているらしい。
 まだまだ不通は解けない雰囲気だ。

 運転見合わせは結構痛い。
 さっきの路線図を信じれば興津まで五駅ぐらいだが、そんなに歩けばもう夜だ。それこそ実家に連絡レベルになる。
 唯一の鉄道が止まると、まさに立ち往生だ。

 観光ガイドによると、海鳴近辺はバス網が発達しているらしい。
 まあ、政令市なんてたいがい広いんだから、バスぐらいはあって当然だけどさ。
 金はかかるけど、そっちのお世話になろう。



 平日昼間に六分間隔という驚異的なスピードでバスを繰りだしてくる、海鳴交通の高クオリティに驚いていた俺は、あれよあれよという間にバスを乗りついで興津駅へたどりついてしまった。
 疎にして漏さぬバス網、多い便数、連絡対応。
 むかし家の近所を走っていた神奈中バスに見せてやりたい光景だ。一本しかない、しかも乗換駅直通の路線つぶしやがって・・・

 閑話休題。
 とにかく興津駅に、俺は無事到着できた。
 駅のJRロゴが、Jのヒゲを上に伸ばしすぎてURに見える域に達してたけど、もう気にしない。

 まあ、熱海行きの電車が行ったばかりで、二十分ほど待ったのはご愛嬌ということで。



 さて、そんなわけで逗留していた興津の駅中で、俺は本日三度目の衝撃をうけることになる。
 規模的には、これが一番大きかったかもしれない。
 なんせ親戚関係だしな。

 具体的に言えば、駅で携帯をいじっていたときでした。

 うん。携帯もってるんよ俺。
 あまりにパニクっててポケットの中身を忘れてたのと、思い出しても携帯の狭い画面で現在位置をつかむ気になれなかったのとで、下宿からここまで使ってなかったけど、もってるんよ俺。
 携帯は便利だから使うんです。携帯より見やすくてタダのもんが近くにあれば、そっちに流れるのが筋ってもんだ。

 ともかく、俺の娯楽(mp3再生)のためにやっと存在意義が出てきた携帯で、サリエル様のテーマ曲など聞いていたわけです。
 本来は聞く気なかったんだけどね。
 さいしょに携帯で実家にかけたら留守録メッセージが出やがったので、帰宅が一時間ほど遅れますと吹き込んで切ったのだ。そこで実家があることに安心しつつ、気が抜けたんでなんか曲でも聞くか、という方へ思考が動いたと。

 ところで、さすがに無料配信のニュースフラッシュぐらいは、ありがたく受け取っている。
 そこで甲子園平安敗退とか東京為替95円台とか、そんな記事といっしょに、なんでこんなとこにと思える字幕があった。


「『倍照らす』、“故郷”神戸で先行上映

 看護士・水野常子の激動の人生を映画化した『倍照らす』が、地元神戸で先行上映。劇場は大入満員(07月29日 14時00分 朝日新聞)」


 思わず、指が「もっと詳しく」へ動いていた。

 さっきと話が違う。いやまったくその通り。
 ただ、さすがにこういう意味のわからん状況におちいって、こういう意外すぎるところで親戚の名前が出てきたら、同姓同名の可能性さしひいても詳しく聞きたがると思うんだ。

 とくに、ばあちゃんの名前だったりすると。


 携帯代でふっとぶ口座を頭のかたすみで思い浮かべつつ、結局あまり情報がなかったその記事から公式ページへと飛ぶ。
 映画はばあちゃん(?)にスポットを当てているらしく、人物略歴にまる一ページを使っていた。
 つーか、なんでばあちゃん?


「水野常子(1926年4月29日~2006年1月7日)

 商店の娘として1926年に生まれた常子は、2006年に修道女として一生を終えるまで、生涯子をもうけることなく、また生涯故郷の神戸から出ることはなかった──」


 おいこら。
 一行目から聞き捨てならんことを書いてんな。

 ばあちゃんが一九二六年神戸生まれなのは知ってる。
 しかも四月二十九日。いわゆる昭和の日。
 昭和の年号と同い年で、誕生日ごとに近所の家に日の丸があがるので、女学生ごろまではみんなが自分を祝っているのだと勘違いしていたという、豪快な伝説がある人だ。

 しかし問題はそこじゃない。

 同姓同名で生年月日と出身が同じということで、別人の可能性がかぎりなく低くなったのがポイント。
 しかも、経歴が色々違う。俺のばあちゃんは元気いっぱいです。
 きわめつけに「生涯子をもうけることなく」ときたもんだ。





 これはアレか。
 この異世界だか夢世界だかの中じゃ、俺は存在しないってか。
 なんだこのありがち展開。



 そりゃないぜ旦那。
 



 


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続いてしまいましたごめんなさい。

また電波が降りてきたのでカッとなってやった。もう反省しない。

2009年8月21日金曜日

習作その4

すみません。やっぱり本編はないんです。




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 いやー、訳がわかりません。
 運転見合わせになったおかげで、いま高架ホームの下の駅舎は結構大変な騒ぎになってるようで。
 ホームまで怒号が聞こえてくるぞ。
 線路内の障害物って、そんな大変なもんなのか。

 まあ、それは考えても仕方ない。
 考えなきゃいけない、もうひとつの疑問がある。



 どこだよ海鳴って。



 図には載ってるけど、そんな名前でこんなでかい駅しらないよ俺。
 つーか、路線図に知らない駅名が多すぎるんですけど。
 駿河湾岸なら知名度ある都市が多いだろうに、ひとつもない。

 「海鳴」の周りは、こんな状況。

 ・藤本
 ・西遠見
 ・遠見
 ・持船城
 ・海鳴
 ・風芽丘
 ・安国
 ・隆宮

 上を西にして並べると、こんな感じ。
 ちなみに、駅名は飛ばしてません。全駅それぞれ隣同士です。
 つまり「線路上に障害物」があったのは、ここからもう少しだったわけだ。こりゃあ惜しいことを・・・じゃなくて。

 どこだよここ。
 豊橋出て少ししてから太平洋見えたんだぞ。電車は乗り間違えちゃいない。
 百歩ゆずってどっかの駅名が変わったとしても、近くには次郎長親分の故郷とか東海道一の漁港とか、いろいろ有名な地名があったはずだろ。

 なのに路線図には初耳の名前ばっかり載ってるし。

 真剣に、訳がわかりません。




 




 と。
 いつまでも時刻表の前でブツブツつぶやいてると、知らない人に引かれるので、そろそろ何か対策を考えなきゃいかん。

 さて、いま俺が知りたいことはなにか。
 こいつは簡単だ。

 ・ここはどこ

 まずは以上。
 何をさておいてもこれだ。金は最悪セブイレのATMから引き出せるし、交通手段の選択は現在地が分かってこそ。
 そもそもどこにいるのか分からなきゃ、実家へも帰りようがない。ゴールは分かっているんだから、スタート地点を確認できれば、どっちへ向かえばいいかわかる。

 では、どうするか。



 方法その一:
 駅員さんに聞く

 明らかに無理だろう。
 下の改札あたりでけっこう騒ぎが激しくなってるし、ホームにも作業服にメットかぶったおっさんたちが上がってきて、難しい顔でおたがいに相談したり、業務用の電話でどっかと話したりしてる。
 たぶん話す暇ないな。
 となると。



 方法その二:
 まわりの人に聞く

 却下。
 改札で文句言ってたら声かけられて、相手の第一声が
「あのすいません、ここはどこでしょう」

 ・・・アホか。
 ただでさえ電車が不通でみんなイラついてるときに、そんな間抜けなことは質問できない。



 方法その三:
 人以外に聞く

 つまり文献にあたるわけですね。
 何も人に聞くだけが場所を知る方法ってわけじゃない。駅の改札には、だいたい近辺をくわしく描いた地図があるもんだ。

 しかも、ここ海鳴は大きな駅ビルがある。
 本屋いっこぐらい入ってるべ。そこで地図帳を立ち読みして、現在位置をつかむのも悪くない。
 ついでに買いそこねてた打海文三の遺作も探してみよう。
 応化戦記、けっきょく未完で終わっちゃったなあ・・・

 っと、いかんいかん。
 とにかく改札前と書店で、現在位置をみることにしよう。
 このデタラメな町がどこにあるのか、それによっては実家へ連絡せにゃならん。親父が今夜いっしょに飲もうとうるさいのだ。それ以外にも、できれば今日の夕方までに帰りたい理由がある。



 と、そう結論して、駅ビルのデパート「アルシェ」にやってきたわけです。

 改札前の地図はどうしたって?
 あんなの部外者の俺が見てもなにも分かりませんよ。
 ほんとに市街の地図しかないんだから。

 まあ、ここが駿府の町っぽいことは分かったけどね。
 鉄道が一本だけってどんな車社会だ。
 

 案内表示にしたがって、カルチャーなんとかのコーナーがあるという5階へ。
 そこの書店で、地図コーナーを店員に訊く。
 案内してもらってお礼を言いつつ、東海地方の地図を立ち読み開始。
 あとは浜松以東を探すだけ・・・


 探すだけ・・・


 だけ・・・


 ・・・


 おかしいな。

 ない。
 東海地方の地図に、駿河湾がない。
 
 浜名湖はあった。
 ジュビロの本拠地もあった。
 新幹線で浜松の次の駅・・・は、名前が大河利家の中の人みたいになってた。
 そこから先は、見たことある地形に見たことない地名のオンパレード。

 そして、

 まさかの(俺の記憶では)大井川以東がぶっつり。
 どういうことだ。中東部は見捨てられたのか。
 などとひとりでブツクサ言ってる俺きめぇ状態になりつつ、浜名湖から大井川までをにらみ続けていたのだが。



 わけのわからないものを、発見してしまった。



 高校は世界史選択だったので、俺はいまいち日本地理を分かってない。
 だが、これだけは言える。





 俺は生まれてから十八年間、



 “浜松県”なんてものは



 見たことも聞いたこともない。





 いやもう、こう見えて泰然自若と腰を抜かしていた俺にしてみれば、どんな悪ふざけって話ですよ。
 最近こういう番組もやらなくなったから、たぶんドッキリ系ではない。
 なら、この地図が狂っているに違いない。

 まあパニクってるなりに、筋道が通ったことを考えたもんだと自賛しながら、俺はラックに地図を戻して、隣の関東道路地図に次の目標をさだめた。

 手に取った。開いた。広域地図ページまでめくりつづけた。
 目に飛び込んできたのが、駿河湾沿岸の道路地図。
 

 表題は「 海 鳴 県 」。


 県庁所在地は海鳴。県域は大井川から箱根まで。
 なぜか、この海鳴県とやらは関東地方に含まれているらしい。頭が混乱しすぎて逆に冴えているから、こういう細かいところにツッコミが入るんだろうな、と自己分析もとい現実逃避。
 左上のはじっこの方に「筑摩県」とかまた訳のわからない県名が載っていたが、なんとなく怖くなったので見ないことにする。

 そして、ここまで地図を見ておいてなんなんだが、俺はようやく気づいた。




 東海道新幹線が、描かれていないことに。



 


=====


続いてしまいましたごめんなさい。

また電波が降りてきたのでカッとなってやった。もう反省しない。

2009年8月20日木曜日

習作その3

ごめんなさい。本編はないんです。




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 床に落ちて、目が覚めた。



 頭の方から、みょうに生暖かい風が吹きこんでくる。
 携帯のサブディスプレイの光で目が痛い。

 耳元で打撃音。
 あわてて首だけ左に向けると、そこに置いてある本棚が、俺に向かってゆっくり傾いてきていた。

 ぎゃっ。
 と、悲鳴をあげられたなら、まだいい。
 そのときの俺のセリフは、むりやり文字にすれば

「ずずずずあっぜあ」

 だいたいこんな感じ。
 滑舌がわるいと、上のように緊急時に奇声があがります。気をつけよう。

 さて、慌てて枕の方へ後ずさり、引っ込めるのが遅れた左足の小指に文庫本の角を喰らったりしながらも、なんとか襲いくる本棚から逃げた俺は、その向かい側にあったベッドに目をむけた。
 さっきまで、俺はその上に寝ていたはずなのだ。



 が。



 次の瞬間に逃れたはずの本棚と正面衝突した俺は、さらに次の瞬間には背後の網戸とベランダの安っぽいプラスチック板を突きやぶり、五メートルほど下で待っているはずの駐車場へと頭から落ちていった。

 お隣さんのベランダから降ってくる物干し竿を見て、空中で俺が思ったこと。

 ──地震速報仕事しろ。



 




 という夢を見た。

 目が覚めたらベッドから落ちていた、なんてベタなことはなく、普通に暑苦しくて目が開いた。
 枕元の携帯を開くと、時刻は午前七時一五分。
 やべ、ちと寝坊した。

 とりあえず空気が重いので、エアコンで今月最後の除湿を入れる。
 どうせ二〇分ほどで切るけど、暑いのは苦手ですし。

 廊下の冷蔵庫からとろけるチーズと食パンをとりだし、その上のトースターに入れてタイマーを3分にセット、機会がじいじい唸っている間に部屋へとってかえす。
 さっさと着替えて、二週間は止めたままの洗濯機に汚れ物をほうりこむ。
 それはそれで嫌だが、部屋に放置よりましだ。

 チーズトーストを腹に収め、カーゴパンツに財布、ガマグチ、携帯を突っ込み、エアコンを止めてデイパックをしょって、帽子をひっかけ部屋を出る。
 ついでに扉の暗証番号を変え、さあ出発。

 神奈川の実家まで、九時間ちょっとの道中だ。





 NHKスペシャルの「シルクロード」を見て将来の進路を決めたというと、みんな俺をかわいそうなひと扱いする。
 でも、実際そうなんだからしょうがない。

 というわけで、俺は中央アジア研究では日本トップクラスの(でも総合評価では中の下あたりの)大学に入った。
 関西の。

 遠いです。ええ。
 下宿です。当然。

 まさか里帰りしないわけにもいかない。
 はるか遠く、福島から来ている同回生だっているのだ。
 それに比べれば、東京を通らない分だけ楽ってもんですよ。いやホント。

 さて、俺は車もないし免許もない。
 夜行バスや夜行列車はもう満席、さりとて新幹線で往復する金もない。
 そこで学生の友「青春18きっぷ」だけを買い、東海道線を乗りついで神奈川に帰ることにした。

 もちろん一日仕事。
 九時間ちょっとの道中なのだ。

 幸い、近畿・中京圏には、たよれる新快速というものがある。
 大きな都市の中心駅しか停まらないので、いったん乗りこんでしまえば、乗りつぎのパターンによっては三時間半で豊橋に着いてしまうという、まったくありがたい電車だ。
 今回もうまく新快をつかまえて、昼ごろには名鉄特急をながめつつ豊橋駅のホームを踏むことができた。

 浜松行きの発射時刻をみてから、立ち食いで昼食。カレーうどんで腹を満たす。



 さて、問題はここからだ。



 やったことがある人や、時刻表を見たことがある人は分かると思うのだが、豊橋から熱海までを電車で横断するのはとてもつらい。
 精神的に。

 県内オール鈍行。ここだけで三時間かかります。
 県知事、のぞみ停車とかいいから快速走らせろよ快速。
 もし遠州を横断したい人がいたら、悪いことはいわん、車かバイクを使え。JRには期待しない方がいい。

 さすがに平日は連絡しているらしく、数分おくれて浜松に着いた俺たち乗客を、乗りつぎの興津行きは待っていてくれた。

 ここから一時間半、興津に着くまでやることがない。
 興津に着いたら、また熱海行きに乗りつぎだ。
 日中を電車にゆられつづけていた俺は、迷わず座席で居眠りをきめこんだ。





 だから、異変に気づいたのは、コトが終わった後だった。

 いや、勘弁してください。
 新快は人の出入りが多いから、あれでけっこう疲れるんですよ。
 さらに平日昼間、ガラガラの普通電車、といういい感じに寝やすい環境が俺を待っていたわけで、多少深く眠ってしまったのは許していただきたいですハイ。

 どやどやと、高校時代に聞きなれた音。
 なにかで表面加工された電車の床を、たくさんの靴がたたく音だ。

 抱えたデイパックに乗せていた頭を上げて、周りを見る。

 俺と似たような格好の人たちが、それぞれ何かしゃべりつつ電車を降りていた。どうやら、もう終点の興津に着いたらしい。
 大荷物の人たちは、途中駅で新幹線から乗りかえたんだろう。
 誰もが不機嫌そうに、ときどき語気を荒げたりしている。

「まったく、いったい何んだ」
「たった数駅じゃない」
「しゃーねえ、バスでも使おうぜ」

 好き勝手に言いながら、ホームに出ていく。
 運よく席に座っていた人たちも、残らず出る空気だ。

 なんだ、どうした?

 そんなよくある疑問文が頭に浮かんだ瞬間、耳障りなキーン音とともに駅の放送が入った。

「えー、お客様にご案内申し上げます。
 午後二時三十分ごろ、風芽丘~安国間におきまして、線路内に障害物が発見されました関係で、現在島田~興津間で全面的に運転を見合わせております。
 それに伴い、この電車も当駅止まりとさせていただきます。
 お客様には大変ご迷惑をおかけいたしますことを、深くお詫び申しあげます。
 えー、くりかえしご案内申し上げます・・・」

 全部止まったのか、これは面倒だな。
 つか、今どこなんだ。うまくいけばバスかなんかと乗り換えがきくかも。
 急がんと。

 そんなことを放送を聞きつつ考えていた俺は、あわてて車外へ出ようとする人の列に加わった。



 しかし、現実は残酷である。
 ホームの「運転見合わせ」しか書いていない行先表示板にため息をつき、時刻表とともに掲げられた路線図へ視線をうつしたところで、俺は口をぽかんと開けた。

 県とおなじ名前だったはずの駅。
 新幹線も、ひかりまでは停まるはずの駅。
 そして、太い線でかこまれ、今ここですよと示されている駅。

 そこには、聞いたこともない名が記されていた。



「 う み な り 」



 と。

 


=====


続いたらごめんなさい。

電波が降りてきたのでカッとなってやった。今は反省している。

2009年8月11日火曜日

というわけで

序章完結です。
また今度、目次なども作る予定。

このように。






序章(前編)

序章(後編)

習作その2

とりあえず序章だけは完結させねば。




=====




 教養所へいそぐ騎兵隊がたてる蹄の音を聞きつけたのか、教養所周辺の住民たちがばたばたと家の鎧戸を閉めてゆく。
 どうやら、彼らは騒ぎに参加しなかったようだ。
 暴動に気づきながら止めようともしなかった者どもには、あとで十分な罰が下されるだろう。とはいえそういう騎兵たちも、住民より先に自分たちが罰される可能性を考えなければならない状況にあった。

 教養所の正門は、開け放たれていた。

 教養所は大きく三つの区画にわけられる。
 東から順に、工廠棟、監理教養棟、監房棟だ。
 正門は監理教養棟の真南に位置しているが、その常になく大きな口をあけた正門のすぐ手前になにかが放置されているのを見て、騎兵のひとりが声をあげた。

「どうした」

 隊長が聞く間もあらばこそ、騎兵は腰の大刀をひっつかみ、そのまま脚だけで馬をしずめて飛びおりた。そのまま正門前のなにかに駆け寄る。
 彼は遠慮なく、そのなにかに松明を突きつけた。

 

「!!」

 何人かが、あげそうになった声を喉に押しもどすのが、隊列の先頭にいる隊長にも聞こえた。
 顔をしかめる。
 部下の未熟さゆえではない。松明に照らし出されたものを見たためだ。
 



 死体は頭を手前側にして、あおむけに倒れていた。
 その服装は、兜のうえの頭巾から沓(布でできた軽い靴)まで黒一色。

 間違いなく、教養所を監理していた黒衣禁衛の兵士だ。

 そして彼がどうやって殺されたかはともかく、どうやって死んだかはすぐにわかる。
 刀傷も矢傷も、もちろん弾傷もないのに、体の前面にあちこち打ち身があって、目、耳、鼻、口の頭の七穴が真っ赤に染まり、頭の周りだけにこれでもかと鮮血がぶちまけられていたのでは、間違えようがない。
 彼は何者かにおそろしい勢いで突きとばされ、その時の内力がこもった打撃か着地の衝撃のどちらかで、あえなく生を終えたのだ。
 よほどの武功と内功を兼ねそなえたものが、ここを襲ったに違いない。

「隊長」

 あまりにおぞましい死体に口元をまげた隊長へ、別の騎兵から低い声がとんだ。

「堀の中にも死体があります」

 身軽な徒士に命令して、隊長は第二の死体を確かめさせた。
 こちらも全身真っ黒のいでたちで、頭をこころもち左側にむけ夜空を見あげるかたちで倒れている。外傷はないが顔の七つの穴から血が噴きだしており、体の正面にあちこち小さな内出血があると報告された。

 彼も交戦中に突きとばされ、内力が暴れだして血を噴いたのち、防壁から外の堀へ転落したのだろう。

 ふとそんなことを考えた隊長は、次の瞬間に肌があわだつのを感じた。





 ではなぜ、死体は「頭を手前側にして、あおむけに」倒れているのか?





 人があおむけに倒れたとき、向いていた方角とは逆に頭が落ちる。
 ということは、二人の兵士たちがまだ生きていたころ、彼らは正門近くや防壁の上で教養所の「内側を」向いていたはずだ。
 そして誰かに「外側へ」はじきだされたのだ。

 さらに、襲撃ののち所内に活動が見られないにもかかわらず、正門前の死体は彼らだけだ。
 つまり。

「侵入した形跡がない、というのか?」

 隊長がつぶやく。
 もちろんその可能性もあるが、先ほどから活躍している若い騎兵が口にした可能性もあった。

「そもそも、侵入しなかったのでは、ないでしょうか」

 それは、誰もが考えたくない可能性。
 だからこそ、誰かが反応する。

「どういうことだ」

「敵は分裂主義集団ではなく、ここの囚人どもだったということも、考えられます」

「はっきり言え」

「ですから・・・所内暴動かもしれません」

 若い騎兵が言いにくそうに発した単語に、何人かの騎兵たちから怒気がふくれあがった。
 隊長も、反射的に右手をあげる。

 軽犯罪を犯しただけで社会復帰の見込みがある囚人は、凶悪犯罪者の送られる労働改造所ではなく、双寺のような労働教養所に収監される。
 これは本来つぐなうべき罪の恩赦であり、世間では天朝の慈悲とうけとめられているので、その労教での暴動というのはもはや死刑にされても文句は言えない、よほどの恩知らずしか実行しないことなのだ。

 だが、隊長はそのまま右手を下ろした。
 今は無駄なことで隊の士気を悪くしたくなかったし、もし実際に所内暴動が起きていたとしても、それは今の異常な静けさや二人の兵士の死に様について、何も説明できていない。
 暴動以上のなにかが、必ずある。





 結論からいえば、正しい見立てをしたのは隊長だった。
 
 すでに全員がなんらかの不信感を覚えた状態で、騎兵隊が教養所に足を踏み入れてみると、正門前のさらに上をいく光景が一面に広がっていた。
 兜と帷子を着こんで得物をもったまま、黒ずくめの骸があちこちに散らばっている。
 収容者と禁衛兵との区別なしに、誰もが体の前面になにか巨大なものをぶつけられ、そのまま吹き飛んで絶命していた。

 禁衛将が詰めている監理教養棟は敷地の北辺に建てられており、正門との間には運動場や講堂がある。
 その運動場をはさむ左右の棟と正門両脇の防壁は、禁衛兵の展示場となっていた。気味が悪いほど例外なくだれもが顔から血を噴出しているが、中には頭蓋が割れてしまったものもいるようだ。
 東から駆けもどってきた徒士によると、工廠棟でも似たような光景が、延々と続いていたという。

 惨状は労教の奥にゆけばゆくほどひどくなっている様子だったので、隊長は正門近くに天幕を張ることにした。
 これから到着するだれかと、そしてもちろん自分たちのためだ。

 酸鼻をきわめる現場に、良い知らせが届いたのは少しあとのことだ。

「隊長、生存者です!」

 西の監房棟から走ってきた徒士が、隊長に息を切らしながら伝える。
 隊長と彼の従者は、すぐ西へ馬を向けた。

 どうやら一連のできごとは、監房棟には及んでいなかったらしい。
 生存者には、特に異常もないそうだ。

 ただ、監房棟にいる収容者のうち数人は、運動場にいたところを必死で逃げこみ、命を拾ったものたちだった。
 彼らから事件を聞いて、他の連中も外に出る勇気がなくなったのだろう。

 さらに市街での騒ぎが大きくなり、とどめに騎兵隊がこちらに向かってきたのを察するにおよんで、彼らに残っていたなけなしの理性は溶け去った。
 今では騎兵たちの説得も聞かず、事態の責任を押しつけられるとひとり決めして、監房に立てこもっている収容者が多いという。

 ひととおり説明を聞いた隊長が、大きなため息をつく。

「収容者はあとまわしだ。これだけ恐ろしい光景をつくったものを見たのだから、多少は錯乱していても仕方あるまい。
 それよりも監理教養棟へ向かったものはどうした。この状況だから棟は無事ですまないだろうが、なんであれ報告があってしかるべきだ」

 隊長が徒士に嘆じたそのとき、折よく北の講堂から、監理教養棟へ向かっていた徒士が走ってきた。
 周囲の叱責も聞こえていないらしく、夜の遠目にもわかるほど体を震わせている。
 隊長の姿を認めると彼は膝からくずおれ、体調の前までにじり寄ってきた。そのまま動かない。

「どうした。報告しろ」

 従者がせかす。

「も、申し上げます。
 ええ、監理教養棟の壁一面に、血文字が・・・」

「なんだと!」

 そこまで聞いて、隊長は誰より早く馬にとびのった。頭を北に向ける。
 北へ進むにつれて左にみえる講堂の窓や扉が破られる度合いをたかめ、またその付近にある死体すべてが頭を南にしてあおむけに倒れていることに寒気を覚えつつ、彼は半壊した監理教養棟の南壁を見た。

 道を一本はさんですぐ建てられている講堂に徒士が何人か登り、松明で対壁を照らしている。燈火の色は月光とあいまって、見るものに嫌悪感を与える。

 労教にふさわしい、くすんだ灰色に塗られた監理教養棟の南壁は、塗料の剥げ以上に場ちがいな色で染められていた。
 壁面に刻み込まれたような細い黒赤の墨が、血痕淋漓と全体を覆っていたのである。
 韻も律もない、それどころか漢語ですらないそれは、しかし戦慄を覚えずにはいられない。

 隊長は思わず、声に出して現地語の雄たけびを読み上げていた。



「証文類、いまや門徒に還る。
 好機なれば、奥義にて奸賊を討たん。
 天罰を騙る我を赦したまえ。
 南無尽十方無碍光如来。
   佐原顕真 絶筆」



 赤い満月が、雲間に消えた。




=====


ともあれ、ここまで。

2009年8月9日日曜日

習作

アドバルーン的な意味で。
製作中の小品「超限戦」序章より。



=====



 雲間から、赤い満月が出た。

 白い蒸気以外に突き刺さることを許された月光が、細剣のように下界を夜から切りわけつつ地上をめざす。
 しかし、彼らが突き進む先には、いつもの宵禁(夜間外出禁止令)に押しつぶされた異常な静寂ではなく、ざわめきと怒鳴り声に支配された街中があった。

 天井から降りそそぐ赤い光をはねのけるように、橙色の彗星が百数十本、地上を流れてゆく。

 彗星の核は、それぞれ頑丈な手と腕につながっていた。
 左手で松明を持ち、右手で手綱を操る騎兵たちが、すでに鳴り物の音さえちらほらと聞こえる非法の都市をめざして駆けていたのだ。
 彼らの後方には、音もなく騎馬を追う徒士の列がつづく。

 関所をほとんど破る格好で市域へつづく峠を越えたとき、兵たちは絶句した。

 眼下に見えるのは、故府とよばれる都市。名前のとおり千五百年ほどの歴史を持つが、今ではどうということもない、ただの旧市だ。



 しかし、今夜の故府は、なにもかもがいつもと違う。

 




 子刻(午後十一時)以降の外出が禁じられている住民たちが、大挙して外に出ている。
 それだけでなく、あちこちで気勢を上げ、どこから持ち出してきたのか大灯明を先頭に、提灯行列さえ始めるありさまだ。

 反対に、彼らに教養を与えるはずの兵士はまったく姿が見えない。
 城壁のかわりに山や川や池が市域をくぎっているこの都府で、それら市境の警備についている軍団の屯所や浮舟には、門や船橋で篝火が燃えているのみ。
 歩哨や巡卒がかならず持たされる、つまり静止しているはずのない松明は、丘の上から市内のどこを探しても見受けられなかった。

「これは、どういうことでしょう」

 はやる馬をすばやく落ち着かせた、剽悍というべき気を周囲に放っている若い騎兵が、彼らの先頭にいる騎兵へとささやくように話しかけた。
 先頭の騎兵は、すでに無言で町の騒ぎを見守っている。
 馬を彫像のようにとどめたまま、彼は重苦しく唇を動かした。

「はやるな。今のわれわれに分かっていることは、双寺労働教養所から周辺の軍営へ、何者かの襲撃を知らせる光碼(発光通信で使われる略号)が伝えられたことだけだ。
 もっとも、たった半刻(一時間ほど)でこれほどの騒ぎになっているということは、他の部隊はまだ到着していないのだろうが」

 高強度の陶材(セラミックス)で作られた半球体の兜を右手の親指でずり上げ、騎兵は故府の街を見下ろしつづけた。
 留め具がついた前合わせの軍衣は、両の肩口に金糸で三つの星印がぬいとられている。
 連長(徒士をふくめ、二百人ほどの部隊の長)をしめすその印が誰にも見えなくなるまで左手の松明を高く掲げた彼は、これまで規則的に左右へ振っていた視線の振れ幅を大きく広げた。

 思ったとおり、視界の両端で、大きな動きを見つける。

 街の東から駆けてきた騎兵たちにとって、視界の両端とは南北を意味する。
 そして北では市内へ突入しようとして住民に阻まれている軍勢がおり、南ではあろうことか軍営のあるあたりから火がいくつか出ていた。
 快速反応隊としてあるまじき失態だ。これでは門閥の名が泣く。



 小さくため息をついた隊長は、その時。
 もうひとつの異変に、気づいてしまった。





「待て・・・」

「連長」

 号令を発した直後、若い騎兵が困惑の深まった声でまたささやく。彼も気づいたらしい。

「ああ。これは、どういうことだ」

「見当もつきません」

 隊長は無意識のうちに、先の質問者と同じことを口走っていた。

 故府の中心から少し南にはずれた場所に、騒がしい市街のなかで不気味な沈黙をみせる区域がある。

 彼らが出撃してきた、また故府の南北から軍団が市街へ向かおうとしていた理由そのものである、双寺労働教養所。
 一般的な言葉でいえば牢城とか強制収容所ということになるその城館の防壁は、いつもなら明かりもまばらで静かな故府の街のなかで、ぼうっと首飾りのように光る輪をかたちづくっているはずなのだ。

 しかしいま、首飾りは多くの宝石が抜け落ちている。

 状況は、市境警備の軍団とまったく変わらず、厳密にはそれよりひどかった。
 兵士の松明が見えないばかりか、かなりの数の篝火が消えてしまっている。
 さらに、彼の知るかぎり一日中明かりの絶えない工廠棟も、暗闇のなかで異様に静まりかえっていた。



「連を分けるぞ。
 第一旗(連を構成する単位。徒士をふくめ、六十人ほどの部隊)および第二旗は私に続け。これより労教へ突入する。
 第三旗は逢坂関を封鎖して待て。一刻たって戻らなければ、いそぎ大谷通信塔へ早駆けを送り、状況を総督閣下に知らしめよ。
 われわれを援護しようなどと考えるな、なんとしても異変を故府の中へおさえこむのだ。

 叛徒がいかなるものであれ、これだけの騒乱を市の全域にひきおこし、そのうえ労教を沈黙させる力量の持ち主だ。
 蛮族とはいえ油断はならん。ゆけっ」

 無駄と言えるほど小さく、それでいて腹の底に響く隊長の声とともに、分行動を命じられた第三旗は来た道を引き返していった。
 狭いながらも平坦な土地で扇形に広がっていた騎兵と徒士が、山形に姿を変える。

 無言で駆け出した隊長に続きながら、しかし兵たちは胃の腑が徐々に縮んでゆくような不安を感じていた。





 叛徒とは、いったいどこの手勢なのか?
 それに、なぜ双寺労教が沈黙しているのか?
 軽犯罪者の下民ばかり収監される労教を、わざわざ襲う必要がどこにある?


 数々の疑問を頭に浮かべながら、それでもたくみな手綱さばきで、隊列は市境の川を横目に南下していった。中心部は騒乱が大きすぎるので、南方へ迂回してから市内に入ろうというわけだ。
 隊長は労教進入を優先し、騒いでいる住民は二の次にしようと最初から決めている。暴徒を相手にしていては、いつまでたっても目的地にたどり着けない。



 だが、その明晰な頭脳がうまく働くのも、突入の直前までだった。






=====

 こんな感じです。

復活

というわけで。
「可児の家」あらため「可兒の家 暫定版」登場です。
復活メドがついてきたためですが、肝心のモノカキ再開はいつになることやら。