2010年5月2日日曜日

習作その11 海賊八幡船その後つづき

第一話シリーズ。
の、はずが、続きました。



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 新しいものごとが海外から入ってくるだけなら、誰も拒否しない。
 が、それが支配的になり、しかも強引となれば話は別だ。
 そうした秋津人の排他性は、いたるところに現れている。


 例えば。
 余談となるが、日本の清涼飲料勢力図は、その象徴だ。



 まず、総売り上げの四割弱をしめ、文句なしに清涼飲料業界の筆頭をつっぱしる住吉御師水取組合。
 もちろん、その大半は平野飴(炭酸冷やし飴)が稼ぎだしている。

 つぎに、南方で絶大な人気をほこる東都檳榔惣講。
 東都檳榔香草水(ビンロウルートビア)を主力としている。

 そして三番手に、ある意味で今回の主役が登場する。
 松原調薬同志会。
 筆者も愛飲している、「黒松がらな」の製造所である。



 黒松がらなは、日本で唯一、全国で見られるガラナ水だ。

 ガラナは瓜拿とも書き、安地(アンデス)の山麓から熱帯雨林で自生する植物である。地元住民は種の皮をむいて粉にし、湯にといて飲む習慣がある。

 これが商品になったのは百年ほど前、日本では五十年前に爆発的に広まった。
 その原因は、皮肉なことに古柯口楽(コカコーラ)だったのだが。



 古柯社をはじめ、第二次世界大戦によって“正義の武器庫”を自任した風炉美州蘭土の企業公司は、先をあらそって前線となった各国に販路をひらいた。
 そして戦争が終わると、今度は古柯口楽と競合していた解卵口楽(ペプシコーラ)が新しく参入し、日本の清涼飲料水は彼ら二社と平野飴の三つどもえになりつつあった。


 そこまできて、日本の水売りたちが危機感をもった。
 かれらは自分たちの存続をかけ、調薬同志会をつくる。
 この集まりに“松原”と名づけたのは、事業が大きく育つようにと縁起をかついだこともあるが、汚染や塩害につよい黒松が摂海の岸に植えられ、“住吉の松原”として有名だったという理由が大きい。


 つまり、同志会はなによりも

 “海外からの汚染(侵入)”をふせぎ、“住吉(平野飴)を守る”

 ための会だったのだ。


 同志会は口楽に対抗できる飲みものの情報を集め、伯剌西爾(ブラジル)でのみ人気が高いガラナ水に目をつける。
 結論が出るのは早かった。
 かれらは泰東洋をはるばる渡って原料を買い、日本で売りだした。



 そして、五年後。
 古柯口楽は、みごとに黒松がらなの後塵を拝するに至ったのである。


 さらに、その頃になると戦中からの“風炉美州化”に対する反動で、比較的歴史のある飲みものが好まれるようになっていた。
 本場の東都から全国へとひろがる檳榔の波と重なるようにして、秋津から南方へ拡散していった黒松がらなは、風炉美州と日本の関係が悪化するにつれてますます売り上げを伸ばし、古柯社のみならず解卵組にも

「一割の壁」

 と言わしめる、長い”口楽の冬”を生んだのだった。





 それてしまった話を、元に戻すと。



 結局のところ、血の池地獄の変とは、そうしたものであった。





 






 別府の地獄は、現代でもその名前だけで値打ちがある。
 今より娯楽が少なかった安土大坂時代となれば、当然のことだ。

 そして、温泉地は観光地だが、療養地でもある。

 さらに、竜造寺氏が家内建てなおしに奔走し、老いてなお猛き“治天”信長の御来寇によって田畑がぼろぼろになった島津氏が検地に泣いている当時、大友家領はいたって平和であった。



 つまり、あくまで日本的な発想で考えれば、あいつぐ同僚の戦死により大友双璧の片方となってしまった戸次あらため立花道雪が

「湯治に行きたい」

 と言い出しても、それなりの説得力があったのだ。



 もうひとりの双璧だった高橋紹運からみても、道雪はもう父ほどの年齢だったし、隠居してなお伴天連とつるんで藩を動かしつづける大友義鎮とは、みごとに関係が断絶していた。
 さらに、心配種だった主家のあとつぎ義統も(少なくとも内政家としては)実力をつけてきており、療養するなら今しかないという空気もあった。

 なぜ療養が必要かといえば、言うまでもない。
 はるか昔、雷に打たれて動かなくなった彼の下半身は、老いとともに上へ上へとその麻痺を侵食させていたのである。



 ともあれ、事情を知っていれば

「“雷神”道雪も老いたか」

 ということになる。
 長老たちの戦死で急増した若い武将たちは彼のようになろうと発奮し、仇敵たちは国内事情のせいで大友を攻められない自分たちを恨み、年明けまではそれ以上のことにならないはずだったのだ。



 ところが、苛罵留については、その限りでなかった。





 先述したように、このころの豊後は国論が割れていた。
 切支丹とそれ以外のふたつに、である。

 義鎮のおかげで秋津第一の天主教地帯となった豊後だが、これを快く思わないものもいた。
 正確には、そうしたものの方が多かった。



 今から見れば、これは当然のことだ。
 上様(前藩主義鎮)の権威をかさにきて所かまわずふんぞり返り、仏僧とみればどなりあげ女とみれば悪態をつき、意味のとおらない雑言をわめくだけわめいて勝ち誇り、あげくのはてに寺を焼き土地を奪って南蛮寺(天主堂)を建てる。
 古く強盗のことを濫妨というが、彼らはまさに“濫妨者”だった。


 最初から、こうだったわけではない。
 沙備依留が音頭をとっていた最初の布教では、耶蘇会士は礼儀正しく、下々にも分けへだてのない清廉の士として通っていた。
 秋津人差別はあったが、伴天連が率先して人買いにはなっていない。

 つまり、苛罵留時代はそうなっていたのだが。



 幸い、苛罵留と彼の部下たちの勢力圏は九州一円にとどまっている。
 本州は、京地区布教長の宇留岸が仕切っていた。

 だが、縄張りが広くても権力はかぎられている宇留岸が、日本でもっとも高位の苛罵留を止めることはできない。結果として、豊後は苛罵留や義鎮ひきいる切支丹と、義統ほか大友家中が主導するそれ以外に割れてしまった。

 いちおう洗礼は受けた義統が“それ以外”の旗頭になったのは、自分が当主になったはずなのに天主狂いの隠居が領地の運営をじゃましてばかりいる、という実際的な理由があったが、八幡神を信じていた母の奈多夫人が、父や伴天連に迫害されて急逝したこともあると言われている。


 なお問題なのが、豊後以外の九州についてだった。
 大友氏とともに切支丹として名高い大村氏は、長崎を耶蘇会に寄進していた。
 ところが天下統一により、長崎は織田の直轄領とされる。ひさびさに長崎へやってきた博多商人たちは、それまで長崎で弾圧されていた仏教徒たちから、耶蘇会や南蛮人の領土的野心について詳しく聞くことになった。

 結果、九州沿岸の町では

「天主教は、南蛮人が日ノ本をのっとるために作った秘密結社」

 という流言が常識のように広まり(他の泰東諸地域について考えれば、あながち間違っていないのだが)、各地の切支丹は寺社だけでなく近所の人々からも、強烈な反感を買うことになった。


 ちなみに噂は堺に伝わり、切支丹大名たちが衝撃を受けていた。
 さらに、血の池地獄の変を知った代官の織田信忠がここぞとばかりに父親へ送りつけた讒訴に書かれていた南蛮貿易商の人買い疑団をめぐり、一連の権力闘争がはじまる。

 次の夏にあいついで出された「両天主教令」は、その産物といえよう。



 まあ、そうした未来の話はさておくとして、九州の教勢縮小という大失敗を招いたのは、ほかでもない苛罵留など差別論者である。
 彼を黙認した天川(マカオ)の司教座も、同罪と言えるが。



 だが、そうとは知らない苛罵留は、反切勢力のなかでも高い地位をしめる道雪が豊府からいなくなることを喜び、ついでに日本人の密偵がよこした報告に仰天していた。



 特に、





 『地獄へ全浸浴に向かう』





 という、簡潔きわまる一文に。










 結末から言うと、苛罵留は血の池地獄を見なかった。
 見ない方がよかっただろう。

 ここでいう血の池地獄とは、文字通りの意味だったのだから。


 そう。

 血の池地獄の変は、たしかに別府の地獄で起きた。
 しかし、いわゆる名勝「血の池地獄」で起きた事件ではなく、温泉が血に染まった様子を血の池と称したに過ぎないのである。





 とはいえ、その正確な経緯は、よくわかっていない。



 なにしろ、陣営ごとに記録を残してはいるものの、内容が食い違うどころか正反対になっているのだ。
 悪いのも敵方、原因も敵方、会話の攻守まで真逆だ。

 ここまでくると片方が他方を模倣したとしか思えず、大秦に資料があることを考えると耶蘇会側が先に記録したと考えられる。
 だが、耶蘇会の記録もうのみにはできない。
 そもそも耶蘇会の記述が事実に即していたのか、という疑問が出てくる。そして、苛罵留の支配下にあった当時の九州耶蘇会で、その可能性はきわめて低い。

 耶蘇会の資料は、当時の秋津風俗をこまかく描写している点では重要なのだが、善悪判断などがつきまとう案件になると史料的価値を一気に失う。
 いつも天主側(そして白人側)に偏った視点だからだ。
 天主教の修道会としては褒めるべき立ち位置だが、史家には迷惑でしかない。



 ただ、ともあれ


「立花道雪に無礼をはたらいた伴天連たちが、彼をさらなる危険にさらしたため、道雪の部下たちが伴天連たちを温泉に放りこんだ」


 という程度なら、二次資料で明らかになっている。



 もちろん、耶蘇会側の記録ではそうならない。

 地獄に行って帰ってくるという宣言は、道雪が生きながら地獄に堕ち、さらにまた復活できることを示しており、それはもはや人間業ではない。
 そして彼が切支丹でない以上、道雪は悪魔なのだ。

 つまり、彼の滅却を命じた苛罵留には、なんら落ち度はないということになる。


 彼の意をうけて別府温泉に乗りこんだ伴天連たちは、おそらく彼の正しさを確信したことだろう。

 別府八湯には、一般に言われる温泉とは違うものが多い。
 それこそ沸騰寸前の熱湯がわく泉などざらで、蒸気だけが岩をめぐるもの、熱をもった泥が吹きでるもの、そして名高い“赤湯の泉”など、日本広しといえども別府以外ではそうそうお目にかかれない温泉が大量にあるのだ。

 もちろんそれらの泉で入浴するわけではないが、だからといって奇異に映らないわけがない。


 さらに、伴天連たちは“温泉”を見たことがなかった。

 湯が出る泉を見たことがないわけではない。
 だが、そういった泉はおおむね薬湯、あるいは飲用の鉱泉として使われたことしかなかった。
 何の薬効もないのに、湯につかるという発想がない。


 大友領の観光地として名を知られていた別府の地獄だが、伴天連たちから見れば文字通り、地獄の一部がこの世に現れているとしか思えなかった。
 そんな場所で、異教徒たちが湯につかっている。
 許せるわけがない。



 とはいえ、血の池地獄の変についてもっとも興味深い記録は、やはり耶蘇会のものだ。

 いわゆる『佛洛意主日本史』には、次のような記述がある。





ガスパール・コエリョ師は、この世の地獄に帰り今まさにくつろがんとしているトールとその手下たちに、その熱泉にからだを浸せば最早人ではないので、一刻も早く良心をとりもどし府内に戻るよう伝えた。

 しかしすでに奥の泉では、人々が自分の思うように湯に浸かっていた。トールの手下たちは、土民が行っていることを自分らが行っていけないはずはないと考えているので、いっせいに反発した。

 そのため、コエリョ師は彼らに、火と硫黄の池に自らを投げいれることはサタンでも行わなかった暴挙で、デウスの御恩を捨てることにつながることを、大いなる愛情をもって説いた。

 彼らはサタンが何者かについてまったく無知であり、コエリョ師と数人の修道士がかわるがわる説明した(その間に、手下たちを見捨てたトールは自分の輿を下人に担がせ、熱泉へと向かっていた)。


 しかし教えをうけた彼らは大きく口をあけて笑い、「お前たちと違って、われわれは神がいる場所を知っている。それはすぐそばにある」と言った。

 コエリョ師と一行は、彼らに御教えを説くよりもトールを屈服させるべきと思っていたので、彼らを押しのけてトールの輿を追いかけた。

 すると手下たちがコエリョ師にせまり、トールよりも彼らの神に会えばいいのだ、とはやしたてた。

 コエリョ師がその場所を訊ねると、トールの手下たちは笑いながらコエリョ師をかつぎあげ、近くにあった熱泉に投げつけた。



(中略)



 これらの非道なふるまいにも、コエリョ師は神の試練と愛を感じられた。しかし師は、このときトールの手下たちも神仏がサタンだと理解していたことに気づかれて、それなのになぜ愚行をくりかえすのか、大いに嘆かれた。

 ところがこのお言葉をトールの手下たちは聞きつけ、次のように答えた。


 すなわち、自分たち代々にわたって神仏をあがめており、今さらデウスに走るのは裏切りである。そのような節操のない者は、デウスの御勘気をもこうむるだろう。

 それに、もしデウスが万物をお創りになったのなら、日本の国土もデウスによって創造されたのだから、日本の山や海をあがめても実はデウスに帰依している。

 さらに、もし神仏がサタンであったとしても、当然サタンもデウスによって創造されたのだから、同じようにデウスによって創造されたキリストに祈るのと変わらないはずである。むしろ、強い力をもつサタンに帰依したほうが国や民のためになる」





 ここで、“トールの手下たち”が述べていることに注目したい。



「キリストに祈るのと変わらない」

「サタンに帰依したほうが国のためになる」



 天主教学において、創造主と被造物のあいだには雲泥どころではない差があることを、大友家の武士たちがまるで理解していなかったことがわかる文章である。

 だが、日本史学の観点では、それよりも重要な点がある。


 すなわち、これこそ後の叉丹教、叉丹諏太の宗旨なのだ。


 近現代の秦景教の大半がその流れをくむといわれる叉丹教は、公式には天文寺宗論でその存在が発覚したことになっている。

 しかし、もともと多神論どころか汎神論的な神仏混淆が支配していた秋津に天主教が侵入したとき、どのような反応が起こりどのような変質をとげたのか、その一例として興味深いと言えよう。









 風炉美州蘭土:
 翻字体はプロミスランド。
 矢羽大陸中東部を支配する国家。民本論の起源をうたい、君主国の滅亡をかかげる。
 また肌色差別、隔離政策で有名


 佛洛意主
 留斯佛洛意主。翻字体はルイス・フロイス。
 耶蘇会士。秋津での不況の記録や人々の風俗を記した『日本史』で著名


 ガスパール・コエリョ師:
 漢訳体は加斯舶故会理誉。
 耶蘇会士。後の日本準管区長。当時は豊後地区で布教にあたっていた


 トール:
 漢訳体は竜。
 “天下統一”後、耶蘇会が多用した“雷神”立花道雪の蔑称。北秦の雷神の名。
 当時、耶蘇会が秋津人を仇名で呼ぶのは一般的だった。例:奈多夫人=伊莎別(イザベル)










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 漢字一色にするとどうなるか見てみたかった。

2010年4月26日月曜日

習作その10 海賊八幡船の後日談的な

第一話シリーズ。
ちょっと続くかも。



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「まあね、初犯やし大目に見るけど、いつまでも子供の気分は困るね」


 小太りの同心が、ぶつくさ文句をつぶやきながら二輪の登録番号を写している。

 しかし、文句を言いたいのはこちらの方だった。
 どうして人生初の二人乗りで、よりにもよって番所の前を通り過ぎるようなマネをせねばならなかったのか。しかも言いだしっぺでありこの暴挙で得をする人間は、自分ではないというのに。


 まあ、気持ちは分かるが。
 となりでうなだれている友人を横目に、こっそりため息をつく。


 たしかに、彼女の出自を考えると、上司の機嫌を損ねるわけにはいかない。

 とくに京都平安府は、よそものにうるさかった。
 いわゆる地方性にまつわる伝説として、京都人は平安京ができた後に入ってくる宗教を頭から排斥しにかかる、というものがあるが、この伝説の怖いところは、それが冗談でもなんでもない点にある。
 天主堂も礼拝堂もあるが、秋津人の信徒はほぼいない。



 しかし。
 それとこれとは関係ない、と思わざるを得ない。


 だいいち、今は宗教だとか民族だとか言語だとか、くだらないことで張り合っている場合ではない。
 その三つを「くだらないこと」扱いできるのが日本の美点であり欠点なのだが、ともあれ「国」というシステムが根付いている以上、その総力を使って自分たちの利益を引き出すのが、ここ数十年来のしくみだ。

 そして、多数派の秋津人がリードしているとはいえ、一千万単位で言葉も考え方もことなる人間が暮らしている日本は、いわゆる多民族国家に他ならない。
 そんな場所で差別などしていては、国が滅ぶ。


 まあ、要するに民族差別などという時代遅れなことをやっている暇があったらもっと別のことに精を出すべきで、そのついでに自分たちの交通法違反も見逃してほしいということなのだが、





「で、そっちの嬢ちゃんの名前は? 名字から忌名まで全部な」

「あ、はい。
 カドリ・ビント=シャイフ・マサミ・・・」


「ちょい待ち。字ぃを言ってってくれんかな」

「えーと、歌を取ると書いて歌取(カドリ)、メスの頭に沙門のえらい丈夫で牝頭沙偉夫(ビント=シャイフ)、正しく見るで正見(マサミ)です」


「歌を取るで歌取・・・
 ひょっとして、あんた回教修道団の関係者?」

「へ?
 え、ええ、まあそうですけど・・・」


「悪いけど、ちょっと番所まで来てもらうわ。
 兄ちゃん、あんたもな」





 この調子では、どうも無理そうだった。





 






 日本連邦、とくに秋津では、宗教過激派を嫌う。
 その憎悪はすさまじく、はたから見ていればただの宗教弾圧にしか思えないこともあるほどだ。


 読者諸賢の記憶に新しいところでは、修文法華事件があげられる。
 法華宗の国教化と国立戒壇建立をもとめる正門党が連邦議会に議席を得るや、それまで沈黙をたもっていた大教院が、なんの前ぶれもなく正門党やその母体である顕正講を攻撃。ちょうど連邦会議で議題にあがっていた議席配分にかかわる問題にまで発展させ、けっきょく正門党の議員は一人のこらず“辞職”せざるを得ない状況においこまれた。
 この年の補欠選挙が盛りあがったのは言うまでもない。


 もちろん、これは法華宗にかぎったことではない。
 「善智識による政治」をかかげ、織田六家の入信をめざすと公言してはばからなかった善光会
 みずからの大管長は神と交信できるとする末日聖人教会
 そしてもちろん、昨今はやりの回教強硬派。

 これらをすべて、政府・大教院は平等に禁圧している。



 このような政策は、現代だけのものではない。
 そもそも、こうした自由権に反するような政策が(矢羽や溟州などから)強い非難を浴びつつも続けられ、それを公民が支持し続けているのは、こうした大教院による統制がこれまで効果を上げてきたことだけが理由ではない。
 “天文大明神”織田信秀の立案、という点がかなり大きかった。



 信秀とその嫡男信長は、それぞれ別の宗教と戦い、どちらも勝利している。
 そしてその2度目の戦争が、秋津最後の宗教戦争だったのだ。








 
 誰もが知るように、秋津三島(当時は日ノ本と呼ばれていた)を織田家が完全統一したのは、京禄3年の夏、今でいう神紀4513年午月のこととされている。

 この“天下統一”の前後半世紀以上にわたって、信秀・信長親子は、ふたつのこの世ならぬ勢力と戦いを続けていた。



 そのひとつは、一向宗である。
 天文の年号が使われていた全期間にわたって為政者たちを苦しめた、現在は白蓮宗浄土顕真流本願寺派とよばれている彼らは、石山本願寺に新居をかまえた法主証如のもと、反織田勢力の中心となっていた。


 強い経済力や諸大名との連携、新兵器であった鉄砲の集中運用などで、講談で語られぬまま屍山血河をなしたこの全面戦争は、足かけ10年にわたる長期戦のすえ、総大将の証如をなくした一向宗の石山退去というかたちで決着がついた。
 宗門内の強硬派や各地の一揆勢の蜂起はそれからも散発的にあったが、これら武闘派のせいで一向宗の立場は悪くなる一方だったため、証如の後をついだ顕如が終戦工作に走りまわっている。

 この石山合戦が契機となっておこなわれた寺社刀狩によって、秋津は政教分離にむかう第一歩をしるしたと言うことができる。
 一向門徒も、これ以降は武具をとらなかったという。



 さて、この合戦は織田家にひとつの共通認識をもたらした。
 それを端的に表す逸話がある。

 信秀の死後も信長によって天下統一へ驀進する織田家を見るや、退去先から本願寺の復帰運動をおこない、ついに新生大坂城の一角に寺地をもぎとった顕如に対し、


「サテモ門跡殿ハ武門ノ鑑タルカナ」


 と信長が嫌味をはなった、というのだ。
 大失敗ののち地道に失点をとりかえした人間を「天晴門跡」とよぶのは、この話にちなむという説も出ている。
 ちなみに、このとき建立されたのが、今の天満本願寺である。



 この逸話は、石山を失ったにもかかわらず、一向宗勢力が精力的に活動していたことを示している。
 信秀も信長も、この異常な戦争の後始末に辟易していたのであろう。
 全国から門徒も銃砲も金銀も集まってくる石山本願寺という要塞を陥とし、そして領主や大名にかかわりなく全国に散在する寺地・一揆勢のすべてに停戦命令を届けるだけでも面倒なのに、仏道という広く知られた心の支えを敵に回したあとの慰撫も行わねばならない。

 大名が滅びるのは無能だからで、住民が悲しむ義理はない。
 だが寺社が滅びると、毎年の収穫すら保障されなくなる。
 織田親子のように来世についてかなりの疑いをもっている人間が少ない以上、そうした点も考えて戦後処理を動かす必要があった。
 しかも相手は、表面上は元気なのだ。


 宗教の力が異常だと改めて感じたのは、彼らだけではなかった。
 “天下統一”後、それまで織田勢力圏で実施していた政策とともに、宗教関係のお触れが矢次ぎ早に出されてゆくのは、理由のないことではない。



 その後、織田軍はこの石山合戦で得た教訓をものにしていった。
 たとえば鉄炮の集中運用はまっさきに導入されており、火薬を使った兵器が次々に開発されつつあった。
 さらに、木津川沖合戦で毛利水軍をやぶった鉄甲船は、九鬼家ひきいる織田熊野水軍の主力になっていたし、小早川家で研究されていた二形船──竜骨のある和船も増産が進んでいた。


 そんな革命期、しかも秋津に敵がいない状況にもかかわらず、二度目の宗教戦争は織田軍にまたもや大打撃を与えることになる。





 今度の相手は、耶蘇会(ジェズイット)だった。
 
 










 “天下統一”当時、秋津の耶蘇会には派閥抗争があった。


 耶蘇会は全世界をいくつもの管区にわけ、そのなかでも特に重要な、または人口のおおい地域に準管区、そうでない地域に布教区をわりあてていた。秋津は当初、東印度大管区の日本布教区だったが、本能寺の変ごろに準管区へ昇格した。
 初代の準管区長は、それまでの教区長の横滑りだった。
 記録されるところでは、名を方済各苛罵留。
 発音を翻字して、フランシスコ・カブラルともされる。



 カブラルの当て字がひどいことになっているが、これは彼にかんする悪評の原因にかぞえられている。
 今でもそうだが、こうした悪意ある当て字はこのころの秋津では珍しいどころの騒ぎではなく、そんな字を使われるほどの悪行を働いたのだろう、と見なされるようになったのだ。
 もっとも、あながち間違いではない。

 彼の下で京地区(という名前だが、四国と本州すべてを管轄する)布教長をつとめていた熱貴宇留岸によると、苛罵留時代の日本準管区は恐怖政治に近いものだったらしい。
 彼の意にそわぬ修道士や司祭らは残らずはじきだされ、彼と同じような差別論者ばかりで周囲がかためられた日本準管区、とくに彼の直轄する豊後地区は、ただの植民地と化していた。
 豊後以外の九州をうけもつ下地区も、似たりよったりの有様だ。



 彼は、耶蘇会総長の名代として秋津をおとずれた亜歴山徳魯范礼とも、するどく対立していた。
 理由は言うまでもない。
 范礼もまた、宇留岸と同じ意見をもっていたからだ。

 宇留岸は、天主教という真の教えを秋津に広めることで、ひとびとの魂を救うことができると考えていた。
 そのため、彼は京を走りまわる。
 邪教の神官ども(日記より。延暦寺の坊官か)と討論を活発におこない、彼らが搾取している貧民たち(清目など専属小売商のことか)に手をさしのべた。聖なる御言葉(天主聖書)をわかってもらうために、秋津人たちにむけた羅典語(ラテンご)の教室も開いたし、神学校も建てた。
 もちろん、自分から歩みよることも忘れない。
 彼は秋津人でも司祭に叙階することをためらわず、また自ら秋津の言葉を学んでいた。


 こうしたことを、苛罵留はいっさい禁止した。
 彼にとって、秋津人とは神の子羊ではなく悪魔の手下だった。
 当たり前だが、自分の部下たちにもそう命じている。

 もっとも、この反応だけを見て、彼を責めるのは間違いだ。
 当時の葡萄牙人、いや大秦人のほとんどは、そもそも泰東のひとびとを人間と思っていなかった。
 だから自分たちの説く御教えを、なんの疑問もいだかずに信じて当然、ついでに何がしかの物品を自分たちに貢いで当然、そういう認識が一般的だったといえる。

 ひとり耶蘇会だけが、この先入観を否定されていた。


 天竺はまだよかった。
 現実的な利益だけをもとめていても入信するものは多かったし、すでに天主教がある程度広まっていたので、彼らの教会まるごとの帰依が期待できた。
 問題は唐土と秋津だ。

 唐土にあっては、そもそも新しい宗教の入る余地がなかったうえ、しょせん南蛮人のたわ言としてまともに扱ってもらえなかった。
 秋津では一般住民の質問責めにあい、まずかれらが持っている常識の土台を崩すところから始めなければならなかった。


 そうした苦労に打ち勝つため、初代の方済各沙備依留は秋津適応論をかかげ、当地の信仰にそったかたちで布教を進めるよう命じていた。
 だが苛罵留は、これをあっさりと捨て、強圧的な布教を続けていったのだった。
 


 小田原の役が始まったころ、范礼は各地の耶蘇教会を見てまわったのち、苛罵留の罷免を決意して堺を出航し、瀬戸内で船とともに没した。
 結果、苛罵留は誰に咎められることもなく、“天下統一”まで自らの信ずる布教をすすめ、領主の大友義鎮が天主狂いとなり国がまっぷたつに割れた豊後をはじめとして、九州一円では反切支丹感情がひそかに高まっていた。





 そういった状況のなかで。



 いわゆる「血の池地獄の変」が、発生する。










 顕正講:
 法華宗系の新興宗教。日蓮の説く立正安国をもとめる。
 日本公民が残らず法華宗に改宗し、法華戒壇を政府が建立すべきとする


 善光会:
 白蓮宗系の新興宗教。一向宗の流れ。
 教団の会主だけが世界の真理を知っており、彼らに一切をゆだねるべきとする


 末日聖人教会:
 基督教系の新興宗教。いわゆる模留門(モルモン)


 東印度:
 呂宋や印度群島など、いわゆる三東諸国をさす


 熱貴宇留岸:
 翻字体はニェッキ・ソルディ・オルガンティノ。
 適応論者の耶蘇会士。天主聖書の翻訳に尽力。通称の「うるがんばてれん」で有名


 亜歴山徳魯范礼:
 翻字体はアレッサンドロ・ヴァリニャノ。
 適応論者の耶蘇会士。中国学の先駆


 方済各沙備依留:
 翻字体はフランシスコ・シャビエル。
 適応論者の耶蘇会創設者。日本に天主教をもたらした人物。
 古代基督教(秦景教)奉齋士との宗論で知られる









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 漢字一色にするとどうなるか見てみたかった。

2010年3月28日日曜日

習作その9 両方知ってる人なら一度はやった妄想

第一話シリーズ。
続きません。



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「しっかりおしっ!」

 耳元に響く、いろいろな感情をまぜこぜにした怒声。

「あんたは人を守るために、お給金もらってるんじゃないのかい?
 いま、何千、何万って人が困ってる。
 ここでがんばらないで、いつがんばるんだい!」



 ああ。
 かなわない。

 何十年たっても、この人は昔のまんまだ。
 そして死ぬときにも、誰にも何も言わないで、ぽっくり逝ってしまうんだろう。
 それはそれで、いい迷惑だというのに。


 空調すら止まり、パソコンの放熱で外よりさらに暑くなっている窓のない一室で、彼は汗をぬぐう手をとめて苦笑せざるを得なかった。

 時々いるのだ。
 まわりのことを考えてはいるが、のっぴきならない状況のときには、それらすべてをかなぐりすてて行動する人が。
 いい意味でも、悪い意味でも。



「そりゃ、アンタと良ちゃんじゃ、馬は合わないだろうさ。
 でも今は縄張りなんて関係ないじゃないか。あっちにはさっき、きつく言っておいてやったから!」



 そして、これだ。

 自分はともかく、いま“良ちゃん”と呼ばれた男はとうに還暦をすぎているのだが、そんなことは彼女には関係ないらしい。
 まあもっとも、たいていの人は彼女より若いのだが、

 しかしこの非常時に、わざわざ法を犯してまで回線に割り込まれては、



「そこまで言われちゃ、しかたない」



 と、言うしかないではないか。



「最初からそう言えばいいんだよ。
 自分が偉くなったと勘違いした悪ガキほど、始末が悪いものはないね」



 たとえ、叱責しか帰ってこないと分かっていても。



「相変わらず手厳しい。
 ですがね、私たちの仕事は、足より指を使った方が早いんですよ。
 お孫さんがこちらにいてくれればよかったんですが──
 いえ、これ以上は見苦しいので、このへんで」

「ああ、早くおし。
 老人の長電話につきあってる暇はないんだろ」

「それがそうでも。
 理一くんに劣るとはいえ、ウチの部下はそれなりに優秀ですし、

 なにより、あなたのお電話を無下にはできませんよ。





 ──よりによって、陣内先生のお出ましとくればね」






 






  ――西暦2015年7月 日本国 神奈川県 海老名市



 目覚めてからもたっぷり1分、手足が動こうとしなかった。



 よくない傾向だと、自分でもわかる。

 とはいえ、分かったからどうなるものでもない。
 夢──将来に対するそれではなく、寝る時の夢──というやつは、理性ではどうしようもない場合が多いのだ。

 ならば、受け入れるよりないではないか。


 そう。
 彼こと高橋時寛は、ここ数週間というもの、絶望的に夢見が悪いのだった。



 笑い事ではない。
 とくに彼の仕事と今の日本を考えたとき、どうみても大丈夫ではなかった。

 2年前に誰も得るものなく終わった“動乱”の後始末はいっこうにゴールがみえず、高橋の職場はつねに人手を欲している。
 とくに、一時占領を受けた沖縄と九州北部は、まず情報通信網から作り直さねばならないありさまだった。
 そんな状況で、サブチーフの彼が倒れてはたまらない。

 もっとも、チーフが倒れるよりはマシという言い方もある。
 そして、だからこそ彼は、きょう内閣府で行われるなんだかよくわからない会合に出席することになっていた。



 いや、まぁ。


 あいかわらず暑苦しい布団の中で、カーテンの隙間からさしこむ曙光に目を細めながら、高橋はつぶやいた。



 なんだかよくわからないのは、うちの職場も同じか。





 「いっこらせ」

 チームの後輩から「ジジくせっス」と直接的に表現されたかけ声とともに、高橋は起き上がった。
 直せといわれているが、もう癖なのでしかたない。

 いつも通り、押し入れから手探りで服を探しつつ、着替えを開始する。
 部屋に干してあったワイシャツとちょうど手元にあったネクタイを両手で引ったくり、スーツから消臭剤をとりはずして身につければ、外見だけは社会人のできあがりだ。
 これまたいつも通り、姿見の前にいった高橋は、そこで硬直した。



 姿見の真後ろにかけられた、アナログ式の時計。
 その短針は、はっきりと文字盤の「7」をさしていた。



 出勤時間を、すぎている。









 
 総務省は、2001年4月に発足した。

 その源流は、悪名高い内務省だ。
 戦後に分割をうけるが、2001年の省庁再編で生まれ変わり、総務省となる。

 2010年の政府縮小では、地方自治や情報通信などを扱っていたためか、奇跡的に部局廃止をまぬがれた。
 さらに東アジア動乱後の国民運動政権で行われた行政機関の大合併で、いわゆる“大内務省”が復活する。




 そして今、息を切らせて小田急ロマンスカーから走り出てきた高橋時寛は、

「お久しぶりです」
「へ?」

 その総務省の、情報通信担当政策統括官付き企画官であった。



「陣内さん?」
「ええ、高橋さんもですか」
「いや、“もですか”と言われても、何がなにやら」


 地下鉄構内といえど、暑いものは暑い。
 湿ったハンカチ右手にしゃべりながら、二人は国会議事堂前駅の改札を抜ける。


「高橋さん、情報通信対策会議に出席されるんでしょう?」
「そうですが、まさか陣内さんも?」
「ええ。内情に出向して以来ですが、机を並べるかもしれません」


 ホームでばったり出会って以来、なにか秘密を共有する相手のように話しかけてくる、色黒の男を少しだけ見上げながら、高橋は黙りこんだ。

 彼を見るたびに、いつも思う。


 無駄のない筋肉。健康的な日焼け。精悍な顔立ち。涼しげな目元。
 どこをとっても、いい男としか言いようがない。

 自衛隊の広報関係者がネタにしないのは、大いなる怠慢だ。



 陣内理一1等陸尉は、そういう男だった。





 ただ、ここに高橋個人の評価が加わると、事情が変わってくる。


「となると・・・OZ関係ですか?」


 いささかの用心深さをこめて、理一に訊ねる。
 それだけの必要がある相手に、必要があることを聞いていた。

「ああ、OZ関係の事務は総務省が握ってましたね」
「いえ、だからってわけじゃないですが」

 セクショナリスト扱いされて焦る高橋と、相変わらずにこやかに笑う理一。
 駅から上がる階段出口、地上からさすギラギラの朝日が似合う男だ。
 ああ、関係ないな。
 



 OZ。
 世界最大の会員制バーチャルネットワークである。



 アカウントごとのアバターから、ネットゲームまで。
 電子メールから、大手通信社の報道まで。
 アバターの衣装から、本物の高級マンションまで。

 インターネット上で操作・配信・売買できるものすべてがとびかうこの仮想空間は、同時にそれらすべてを妨害できる場でもあった。
 5年前の夏には米軍のAIにセキュリティ系をのっとられ、とばっちりで日本の小惑星探査衛星「あらわし」が墜落している。
 サンプル容器だけは守られ、反対派を落胆させたのが不幸中の幸いだ。

 あれからOZも過度のシステム統合はひかえているが、信頼は大きく失った。

 特に、トラブル続きのなか地球帰還までこぎつけながら、ミッション終了直前に「あらわし」を墜とされたJAXAと文部科学省の怒りは激しい。
 動乱時にGPSが使えず悲鳴をあげた防衛省や国土交通省とともに、日本独自の情報ネットワーク規格まで提案していた。
 ──もちろん、財務省とアメリカの反対でつぶれたが。



 しかし。


「今回は、別件のようです」


 五百年つづく名家出身の陸自幹部は、日光をさけるビル影でそれを否定した。


「・・・そいつはオオゴトだ」
「ええ」
 思わず、高橋の顔がゆがむ。


 自衛隊のご他聞にもれず、一般には知られていないが、理一も高橋と同じ境遇だった。
 つまり、所属をきけば明快な答えが返ってくるが、結局

 “なんだかよくわからない”

 部署で仕事をしているのだ。


 そして、彼がむかし高橋とともに内情──情報庁へ出向していた頃のままだとすると、その職務は「OZ対策」という一言につきる。
 さらに言えば、謎の部署にいる人間が他の省庁に出張ってきながら、開かれる会議の内容を知らないようなそぶりだ。
 これが演技でなければ、別の可能性が見えてくる。



 つまり、
 OZあるいは日本の情報通信網に関する事案で、
 総務省に任せるには重すぎ、
 かといって内閣府だけでは解決できない、

 そんなバカげた重大情報が、官邸に持ち込まれたのだろう。



「そういえば、今回の会議には外務省が噛んでいるとか」

 やっと考えがまとまったところで、また理一が口を開いた。
 彼がこんなにしゃべるのは珍しい。
 理一にしても、思うところがあるのだろうか。

「私も聞きました。
 ですが、OZ以外で外務省の出る幕というのも、おかしな話では」
「省レベルでの関与ではないでしょう。
 今回の議題についての専門家が、たまたま入省していたとか」
「まあ何にしろ、ここまで内容が秘密なのも珍しいですね」
「まったく」

 そうぼやけるまで、精神が回復していることに気づく。
 時間がたつにつれ厳しさをます暑さも、あまり気にならなくなっていた。

 隣を歩く理一に礼を言うべきか迷いつつ、ようやく気を落ち着けた高橋は、内閣府庁舎へと足を踏み入れた。










 “陣内先生”──陣内栄は、2010年7月31日に亡くなった。



 享年89歳。卒寿の誕生日を目前に控えた、大往生であった。

 突然の訃報に、驚いた人は少なくない。
 その前日には、OZセキュリティ乗っ取りで大混乱する公共情報網を立て直すため、関係各方面に“電話で”檄を飛ばしたばかりだったのだ。
 実際、彼女の誕生会兼葬儀に集まった人々の中には「一昨日電話をいただいたのに・・・」とこぼす面々もかなりいた。


 かくいう自分、内閣情報通信管理センター所長の山木満雄も、そのひとりだ。


 客観的に見てもまだ壮年と呼べる年齢だが、あの老人には勝てない。
 勝てなかった、ではない。
 自分がこれからどれだけ長生きしようと、ああはなれない確信があった。



 だが、彼女のような人材は今こそ必要なのだ。


 OZ事件で何もしなかった内閣が崩れたのはいいとしよう。
 しかし、その後の動乱で日本全体が右傾化し、無駄な世代交代が起きた。

 結果として、残ったのは新進気鋭といえば聞こえはいいものの、要するに場数を踏んでいない若者のみ。
 もちろん、山木の世代が政治の舞台に立てるのはいいことだが。


 くわえて、今のような状況になる。



 山木は、自分が座長のような立場にある会議の陣容を見て、ひそかにため息をついた。


「結局、何が始まるんだか」
「今の内閣は、言うとこと言わんとこ分けてるはずなんだがな」
「だいたいこの集まり、何について話すのかさっぱりだ」


 事前連絡のない、かなり失礼な形をとった召集とはいえ、何が話し合われるか程度は推測してもらわないと困るのだ。
 議事進行に不可欠な、そういったことすらできていない。
 今回の議題は、OZではないにしろ、かなり有名なのに。

 まあいい。
 あとで、政府が振興している個人情報端末にがんばってもらおう。
 その点については自信がある。
 情報漏洩を考えずに端末を使えるようにしたのは、自分たちなのだから。



 さて、そろそろ開会するか。
 肝はすわっている方だが、いいかげん総務省の若造の目つきが怖い。

 発表者の方も、用意が終わるようだ。確認しておこう。
 資料はそろったかね?
 プロジェクター準備いいか?
 ところで、その髪型はどうにか──いや、言うだけ無駄かな。


 では、始めよう。





「──ええ、本日進行を務めます、内調管理センターの山木と申します。
 今回、実務の皆様にお集まりいただいた理由は、大きくふたつになります。

 ひとつは、これは総務省管轄ですが、OZネットワーク。
 これがふたつめの問題とからんだ場合、関係各省が緊密に連携をとりあって対策を講ずる必要がありますことから、召集させていただきました。





 そして、もうひとつ。

 最近OZとの直接交流が確認された、
 デジタルワールド、およびデジタルモンスターへの抜本的対策です。





 ではまず、外務省国際情報交流室の八神より、報告があります。
 太一君、よろしく頼むよ」





 注:
 情報庁の通称。「内閣情報庁」の略から。
 情報庁は内閣府の外局で、内閣の政策にかんする国内外の情報を収集する機関。
 傘下に内閣緊急情報集約センター、内閣人工衛星情報センター、内閣情報通信管理センターがある。

 架空の機関。
 現存する内閣の情報機関については、「内閣情報調査室」を参照。









=====

 というわけで、SW&WGでした。
 妄想乙。以上。

2009年12月24日木曜日

習作番外 超限戦 冬至祭 (第一次黒版)

クリスマスうp。
12月25日修正。



=====




「ベイチーだ!」

「ベイチーだ!」



 ああ、うるせえよ。

 何日も前からさんざっぱら聞かされた単語だ。しかも結局、どんな意味かはさっぱり分からんときてる。
 冗談じゃない。

 児島広之は、ここ数ヶ月ですっかり癖になってしまった溜息を、またひとつ密かに落とした。

 手に持った盃には正体不明の果実酒が注がれているが、まだ乾杯の号がかかっていない以上は飲めもしない。
 目の前の円卓には海の珍味と思しき料理が並んでいるが、これも同じだ。


 どれだけ豪勢な料理屋酒を並べられたところで、こっちがその内容について知らなければ何とも言いようがないのだ。
 高麗族官人の接待で、ばかげた豪華さをほこる中華全席の片鱗を知ってしまった身としては(そのほとんどを口にしていないとしても)、多少珍しい品物が煮炊きされているからといって、心が動くわけでもない。

 だいたい目の前の皿、どれもこれも代用食じゃねえか。
 児島は毒づく。
 南海にも精進料理があると聞くが、目に入ってくる料理の内容と匂いが違いすぎていた。
 
 「娯楽としての食事」という概念をわかってはいるが、見た目より栄養を重視したい児島としては、この現状は耐えられない。眼前に広がる酒池肉林を、彼の鼻が容赦なく否定するのだ。
 ただの焼き豆腐と菜飯で、何を喜んでいるのか、と。



 もっとも、料理にまして耐えられない現状が、彼にはある。



 思い返せば、おそろしく波乱万丈な数ヶ月だった。
 彼にしてみれば、どうしてこうなったのか分からない。少なくともこの夏まで、彼は小さな集落の居民長をやっており、威張ることしかできない目ざわりな高麗人を相手に、倭族としてはかなり恵まれた貧窮生活を送っていた。


 それがどうだ。
 なんだかよくわからないうちに帝國の敵ときめつけられ、
 なんだかよくわからないうちに尽十方無碍光とかいう幻術を覚えさせられ、
 なんだかよくわからないうちに御神と名乗るおっさんの過激派に取りこまれ、
 なんだかよくわからないうちに海賊船ではるか南の島にたどりつき、
 そして今も、なんだかよくわからないうちに席など勧められている。


 何よりわからないのは、そんな自分が重要人物扱いされていることだ。

 今も海賊衆や彼の先触門徒(兄弟子)たちが忙しく給仕しているなかで、児島は言いようのない居心地の悪さを感じながら、またこっそり溜息を落とす。



 いったいなぜ、平々凡々なこの俺が。



 無碍光教の法主と。

 南海七十二島の総島主と。

 往還八幡の輔屋形と。





 顔を突き合わせて、酒を飲まねばならんのだ。





 






 そんな児島の心中を知ってか知らずか、当の“無碍光教の法主”が振りむく。

「どうしたの児島君、さっきから黙りこんで。気分悪い?」

 いいわけねえだろド畜生。
 八重山くんだりまで俺を連れてきやがって、一体どういうつもりだ。

 そう胸の中でどなりつけてから、ここ最近とみに落ちつきのない自分を無言のうちに叱咤し、それからようやく児島は御神に向きなおった。



 御神篤。

 児島を救った恩人であり、武術の師匠であり、盗賊団の頭目であり、狂信者どもの首領であり、そのうえ扶桑でもっとも派手に活動している反帝組織「無碍光教団」の第十一世法主でもある。
 要約すれば、児島の人生をねじまげた張本人だ。


 とはいえ、さすがに児島もいきなり不平はぶつけない。
 なにせ同じ机に顔をならべるチビの総島主や海賊の輔屋形は、基本的に血の気が多い。なお悪いことに、残った御神にさえ勝てる気がしない。
 ここは、高麗人相手に命がけで培った丁寧語の出番だ。

「いえ、こうしてお招きいただいたことはまことに有難いのですが・・・」

 しかし、それすら彼には許されない。



「ずいぶん用心深い御仁だな」



 声が小さい。うえに高い。発音が聞き取りにくい。歌鳥かおまえは。
 そう、児島は苛々にまかせて口走りたかった。

 だが、できなかった。


 小さな正方形の机に、一辺ひとりずつ四人が面している。
 児島を基準として、右辺には法主、左辺には輔屋形。
 もちろん、声の主はどちらでもない。

 正面に座っている、というより腰かけている、いやむしろ乗っかっている、とにかく体格の小ささがもろに印象へと反映された肉食獣が、のびた前髪に覆われて部屋の明かりは届かないはずの両目から、児島を椅子ごと串刺しにせんばかりの勢いで眼光を放っていた。
 性別だけは分かるのが救いだろう。彼女のいかにも南国らしい腰巻と羽織は、体格に比べていささか無理がある胸と腰とくに前者によって、内側から押しあげられ張りつめている。

 せめて怯えた振りだけはしないようにと、全身の筋肉を硬直させた児島は、だがそこで今ひとつの疑問を持たざるを得ない。

 この目の前にいる南海七十二島総島主なるガキが、なぜ自分を呼んだのか、という点だ。


「お前はもう無言同盟の正式な一員だ。臆することはない」

 児島の疑問も知らず、総島主の毛納塔莉は口ぶりだけ楽しそうに続ける。
 だったらまずその目をどうにかしろ。俺を焼き殺したいのか。

 頭のどこかでそうくってかかりつつ、児島はどうにか言葉をひねりだす。

「まだ慣れておりませんで」

 それどころか、無言同盟というものがあることすら今知ったばかりだ。
 自分が彼女やほかの二人とともに着席している理由すらわからないのに、謎は増えてゆくばかりである。



「なあ大刀自さんよう。今の、ひょっとして笑うとこか?」

 ますます思考の深みにはまってゆく児島を引きずりだしたのは、さきほどからにやついていた、左に座る男だった。

 刀自というのは、なにかの集団の女当主に敬意をはらった呼び方だ。そのわりに口調ではまったく敬意を払っていないこの男は、往還八幡という海賊団の輔屋形、つまり二の親方だった。

 彼については、児島もよく知らない。
 ただ南海七十二島とは長年の交流があり、海に生きる仲間の打上(祝祭、めでたい式典)ということで、この「ベイチー」に駆けつけたそうだ。

 で、結局「ベイチー」ってなんなんだ。



「何の話だ、加地」

 総島主は、かなり気分を害したらしい。
 祝いの席で、この男は何をしてくれるのだ。いいぞもっとやれ。

「なんもかんもあるけ? 目は口ほどにものを言い、つう倭族の諺、あんたも聞いたことあるやろ」

「加地くん、君までそんなことを言い出す」

「ええやんええやん。お堅い坊さんは黙っとき」

 一方、あの眼光を保持したまま睨みつけられた加地というらしい輔屋形は、まったく動じていない。ついでに、御神にも動じていない。

 諺が間違っているのはともかく、自分が言いたかったことを全面的に代弁してくれたこの男に、児島は早くも一方的な親近感をおぼえつつ、習慣的な用心深さでそれを振り払っていた。
 ひょっとしてこの海賊も、むかし眼光の被害にあっていたのだろうか。


 さて、いつのまにか加地の方にむいていた顔を正面に戻すと、そこには衝撃的な光景があった。

「いやいやもう遅いから」

 容赦のない加地の寸評にも負けず、総島主のガキは表情をなんとか崩そうと奮闘していた。

 まばたきをくり返し、眉間を揉んだあと親指で鼻の上を軽くたたいて、最後に何度かかぶりを振ったあと、正面に向き直る。

「すまなかった。これでいいか?」

 つまり児島に。



 おい、評価俺かよ。

 意外すぎる展開の連続にあわてた児島は、とっさに御神へ目をそらした。
 失礼だとは思ったが、もうそんなことは言っていられない。ここ五年ほど、女性と目を合わせる機会がまったくなかったのだ。うろたえもする。


 さて、このとき彼が総島主を女性扱いしたということは、彼女の対策に効果があった証明なのだが、本人も児島も気づいていない。

 もちろん総島主がどのような表情をしたのか、われわれに知るすべはない。
 しかしその場に座っていた御神篤は、のちに無碍光御文章とよばれるようになる手記のなかで、

「御刀自殿之御顔 棟梁面縁可憐成娘子之夫辺惣変事為
 此乙女之御侍者 真六ヶ敷御役目成哉

 と、略記法の候文にしてもくだけた調子で綴っている。
 少なくとも、総島主が眼光を消し、柔和あるいはそれ以上の顔つきになったのは間違いないだろう。



 しかし、意外な展開は続く。
 むしろ、まさかの展開といっていい。

 御神が児島から、目をそらしたのである。



「ク、クックック」

 左から押し殺した笑い声が聞こえる。
 これはもうだめだと観念して正面に直ると、総島主のガキは年齢相応な呆れ顔になっていた。

「・・・もういい」

「そうそう、平和が一番」


 この小波乱を引き起こした張本人のはずの加地は、今にもケタケタと笑いだしそうな表情だ。
 何がおかしいのか、御神もただにこやかに笑うばかり。
 当の児島にいたっては、わけがわからず結局また自分の世界に引きこもろうとしている。

 周囲の喧騒も減りつつあるし、そろそろ潮時か。





 突然立ち上がった納塔莉の椅子音に、児島はびっくりして顔を上げた。
 こいつはやることなすこと、前触れがないから困る。

「では、祭主の私から、このたびのベイチーについて、客人がたにいささかの説明を加えたい」

 あいかわらず児島をにらみつけたまま、納塔莉は宣言した。





 ベイチーとは、盃吃と書く。

 これだけではなんのことか分からないが、もともとは外来語にそれらしい字を当てたもので、原義は宴会や集会をあらわしているという。
 そんな一般名詞が固有名詞になったのは、南海七十二島でもっとも重要な集会がなにかと問われたとき、誰でもただひとつの答えを導き出すからに他ならない。



 冬至祭。



 冬至とは、いうまでもなく一年で太陽がもっとも低く、昼がもっとも短い日だ。
 逆に言うと、冬至をすぎればだんだん太陽は高くまで上がってゆくし、昼も少しずつだが長くなってゆく。

 つまり冬至祭とは、一度おとろえ死んだ動植物や太陽神が、また春の訪れとともに復活していくことを祝う祭なのだ。

 これだけでも祝い事には十分だが、さらに続きがある。


 冬至の日は、あたりまえだが年によって変動する。

 だが南海七十二島の大部分、とくに他加禄族や宿霧族などでは、実際の冬至がいつかに関係なく、公暦の十二月二五日に盛大な打上をおこなう。
 彼らに共通する宗教の教祖(救世主)がこの世界に降臨したのが、その日だかららしい。


 海の上では人の行き来も比較的自由だ。少なくとも帝國の移動制限はない。

 特に摩洛族などの交易民族が島々の情報を伝えてゆくにつれ、天文を読んでその年の冬至を決めるよりも効率的とされる“救世主の日”推進派は強くなり、南海七十二島の冬至祭は十二月二五日で統一されていった。


 以上のような経緯から、ベイチーには冬至祭、主祭、聖誕祭、降誕会などの別称がある。

 本来はベイチーよりもさらに規模が大きいパスカ(救世主復活祭)という祭があったのだが、「長命ならともかく、一度死んだのちに人間の肉体と精神が復活するなどありえない」として帝國圏に禁令が出たため、南海七十二島が勢力を取り戻したころにはすたれてしまっていた。





「というわけで、冬至の過ぎこしとともに我ら南海七十二島と無言同盟の結束がいよいよ強まり、また一刻も早く帝國を打倒する鉄槌へと昇華せんことを祈って──」

「あんさ、まだ続くの?」


 せいいっぱい格調高くしてみせた観がぬぐえない納塔莉の演説も終盤にさしかかったところで、また加地が茶々を入れた。

 また例の眼光が彼に刺さるが、ふくれっつらでは迫力もなにもない。
 期せずして、あまり広くない会場に笑いの波が生まれた。


 おうおう顔赤い顔赤い。さすがに怒ったか。
 表情を崩さないように苦労して嗤いながら、それでも場の空気が崩れないことに児島は驚いている。

 いや、単にこの冬至祭とやらに自分が呼ばれた理由をまだわかっていない現実から、逃げているだけかもしれないが。


「まあ、理由はそのうち分かるよ」

 涙目の総島主に顔を向けたまま、ぽつりと御神がつぶやいた。
 それが児島に向けられた言葉と本人が気づくまで、数瞬の時が流れる。


「法主、それはいったい」

「とりあえず、今は料理を楽しもう。僕も昔そうしたから」


 そう、言うだけ言いすてて御神は杯を高く掲げ、もう勢いだけで突き進むことにしたらしい納塔莉の号令に従った。



 つまり、誰よりも声をはりあげて





「恭賀聖誕(メリー・クリスマス)!」





 と、異教の神を讃えたのである。





 
 御刀自(総島主)殿のお顔が、棟梁としての顔から可憐な少女の顔へ、たちまちのうちに変わった。
 このお嬢さんにお仕え申し上げるのは、まことに困難な仕事であることだ。








=====

 顔見せでした。以上。

2009年10月29日木曜日

習作その8 超限戦 第一章その2(仮)

続きを試験うp。




=====




 鏢局、という言葉がある。




 倭語ではなじみのない言葉だが、あえて誤解を恐れずに言えば、ちまたで水軍、八幡、悪党、山侍などと呼ばれているものたちの総称だ。
 つけくわえると、主家や親会社のある彼らよりも独立性が高い。
 
 似たようなことをして生計を立てる集団を鏢局とおおざっぱに呼んでいるが、その業務内容もなりたちも、大きく三つにわけられる。

 仕事についていえば、寸断された公共流通のかわりに運送業、その荷を盗賊から守る警備業、そして万が一のときの保険業の三つだ。



 このように、治安の悪化した今では実力行使の場面がとても多くなる職業だが、そうはいっても鏢局は花形産業ではない。

 天朝では、支配階級とは士大夫(知識人)以外にない、という伝統が数千年の長きにわたっていた(また、現在もその風潮が強い)。官吏としての立身出世をめざすなら、武道は無益どころか有害ですらあったのだ。
 日常的に暗殺の危険がせまるほどの高位になれば別だが、実際に武芸をよくする文官は、いつまでも差別される宦官出身者ぐらいのものだった。



 そういうわけで、鏢師たちの前職も限られてくる。





 






「あの、申し訳ありませんが」


 平生にあるまじき蛮勇をしめししつつ、河合は話を遮った。
 そのような無礼なことを、倭族ふぜいが一度でも行えばどうなるかわかってはいた。
 だが、もういつ無礼討ちになってもおかしくない状況だし、なにより驚きを隠せなかったのだ。



 この俗名を馮地瑞というらしい雲水の話は、もともとどこかの村が丸ごと焼けていたというところから始まったはずだ。
 それ自体は珍しくない。彼にとっても官人にとってもだ。
 むしろ、官人と同じ高麗族の地瑞がなぜそんなことを気にするのか、その点を疑問に思うだけだった。


 ところが話題は、彼と隣で眠りこけている馮お嬢さんの身の上話に移る。
 すでに焼けた村となんの関係もない。


 どこかの湖岸の豊かな農村で地主の家に生まれ、大陸本土の名門道場に入門したなどという話を聞き流したが、ここでも驚く所はなかった。
 位の高いものが低いものに自慢話をするのも、またよくある話。僧籍でもなんでもそれは変わらない。
 しいて言えば、倍達国を「南方」と呼ぶのが気にかかったぐらいだ。


 そして実家が飢饉で暴徒に焼き打ちされた、というところまで話を引っ張っておいて、今度は鏢局とやらについての解説である。
 いいかげんにしてほしい。


「ああ、わかっている」


 顔に出たのだろうか。
 雲水はあっさりと、河合が何も言わないうちに答えた。

「鏢局と私たちに何の関係があるのか、と言いたいのだろう?」

「ご無礼を仕りました」

 すぐさま頭を下げて身の安全をもとめる河合に、雲水は簡単なことさ、と力なく笑った。





「わが馮家を襲ったのが、その鏢局なのだ」





 鏢局に三種類の業務と成り立ちがあることは、すでに述べた。
 実は、そのなりたちのうち二種類は、地瑞の話に実例が登場している。


 ひとつめは、馮家そのものだ。
 馮家は親族だけでは手が足りず、近隣から武芸者を集めて、自分たちと取引のある隊商を護衛させている。ここに馮家の一族も参加したりする。
 つまるところ、用心棒集団だ。


 ふたつめは、坤道の推薦から漏れた「門派を名乗ってさえいない連中」だ。
 武術の門派も千差万別、千何百年の歴史をほこる名門道場から武術だけでは食べてゆけない道場まで多様である。そういう貧乏門派は実戦指導もかねて、警備業に携わってゆくことになる。



 そしてみっつめの鏢局は、盗賊団であった。



 鏢局の数が少なかった時代は、中小の盗賊団が山のようにいた。といっても物取り専門ではなく、何もしてくれない天朝にかわって農村の道路や船便を整備するなど、地域に密着していた盗賊が多い。
 治安が悪くなり弱肉強食の世界がせまるに及んで、彼らはより安全に利をえる方法を考え出した。
 つまり、通行料である。


 いくばくかの金を包めば地域を安全に通してやるという、発想は黒社会そのものだった彼らは、いつのまにかそちらの仕事が増え、金をとって荷を守ることが専門になってしまっていた。
 もちろん本分を忘れてはいないが、鏢局も儲けになるので、昨今は通行料をおどしとる程度におさまっている。



 ちなみに、治安がよかったころは、退役した将兵が部隊まるごと鏢局に転身することも多かった。
 若くして徴用された兵士たちは、手に職を持つひまがなく、退役後も働き口を見つけられない。それなら今までどおり、槍働きで稼ごうというわけである。
 だが現在は、将軍たちにかすめとられた将兵の給料は遅配気味、兵糧は現地調達が原則になっている。つまり現役時代から盗賊のようなもので、その自分たちが“本物”の盗賊を討てば同業他社はいなくなるのだ。

 というわけで、この時代には軍人くずれといえば盗賊をさすことが多い。





 さて、馮家を襲ったのは、最後の型だった。

 地瑞がのちに領民から話を聞いたところ、おおむね次のような経過だったという。





 先述のとおり、馮家は一帯の穀物流通をとりしきっていた。
 とはいえ、今は食糧難。帝都に運ぶ分だけでもかなりの量だというのに、隣の集積地までは大河を渡る長旅。となれば、人馬の食料や金銭もかなり持っていかなければならない。
 さらにそれらの貴重品を飢民から守る必要があるとなれば、軍隊の輜重段列がふだんどれだけ苦労しているか分かろうというものだ。
 馮家と食客たちだけで、守りきれる隊列ではない。


 さて、ちょうどそのころ。
 西から薬種を運ぶ隊列の護衛としてやってきた、鉄馬鏢局という一団が馮家に居ついていた。
 
 彼らはあまり言葉も通じないが、先帝の崩御とともにおきた西部の反乱で、洛陽から逃げてきた者たちらしい。難民団をつくって匪賊から身を守っているうちに腕を上げ、逗留先で警備を求められたのが始まりという。
 まだ恐怖で心が凍っているのか鏢師たちは暗い眼をしていたが、千人近くの大人数のうえ誰もが戦慣れして、頼れそうな連中だった。



 ここで、馮家の長老たちは決断する。
 かれら鉄馬鏢局を、穀物の隊列へ参加させたのだ。



 そして、その決断が、馮家を滅亡一歩手前まで追いやることになる。





 顔が醜くひきつれた総鏢頭は「小者が旗を振って、バカどもがついてきただけ」と自嘲していたが、実際のところ戦力はかなり大きい。
 さらに本来警備にあたるべき官軍は、このとき続いていた潭州の暴動に人を割かれていた。官軍も地方軍閥化しており、帝都のメシなど知ったことか、という雰囲気だったこともある。

 そんなわけで、穀物の輸送隊列は鉄馬鏢局が主力になった。



 馮家を出て数日間は彼らも事件を起こさず、むしろ他の武芸者たちから鉄馬の愚直と呼ばれるほど規律正しい鏢師たちだった。
 少なくとも手を出さない限りは、彼らが黙って引き下がっていたのだ。鏢師の間にいさかいが起こることも珍しくない共同警備では、見たことのない光景だった。ただし、下手に打ちかかって足腰が立たなくなった流れの鏢師はいたが。

 とにかく、鉄馬鏢局の実力は確かだった。ときおり飢民団が隊列を狙ってきても、すぐに撃退される。馮家の者たちが出るまでもない。
 鉄馬がいればこの御役目も安泰、そんな空気も流れはじめる。
 信用をなくせば難民集団に逆戻りだからか、鏢師たちも自分からこの評判を落とすようなまねはしない。

 結果、長江南岸に隊列がつく頃には、総鏢頭の李日進が全体の首領格とみなされるようになっていた。





 安易な信頼の報いは、すぐにやってくる。



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ここから主人公にどうつなげようかな。

もうつなげなくていいかな。

2009年9月25日金曜日

習作その7 メモ Wiki風

某所絵茶にかんして。
10月11日修正。



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ネクロネシアシリーズ』は、株式会社パッチガーデンによるファンタジーアニメ作品、及びそれを原作とした水上篤志によるライトノベルシリーズである。



目次





 



[編集] 概要



  • 全3巻。

  • 外伝が1本、全3巻存在する。また、新たな外伝が発表される予定。



注意以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。






[編集] 世界観






近世西アジアをモデルにしたと思われる世界。「帝国」と名乗る超大国のもと、住民たちは家柄や宗教によって決められた人生を送っている。かれらに対抗する力を世界で唯一もっている西の国家群「神聖同盟諸国」は、教会の分裂や国家間のいさかいが原因で団結できない。






帝国は絶対帝政で、マフディー教を国教とし、セルチュク語の話者、とくにタタ人が官職を独占している。この三つの条件を満たさない、たとえばモリスコ人やノマスクチュイ教東方教徒、あるいはパルス語話者といった少数派は、どんな身分であれ公職からシャットアウトされている。






これに対して、神聖同盟はたくさんの小国からなり、各国の大貴族による合議制をとっている。また宗教はおおむねノマスクチュイ教西方教会で、同盟共通語としてリングア・フランカ・アンドロメディアという共通語が定められている。






このように、なにかと正反対の側面をもつ帝国と神聖同盟は、作中でもよく比較されている。ただし、神聖同盟が劇中にメインで登場するのは、外伝「Diggers'n'MySoul」のみである。




[編集] ストーリー






帝国がノーヴァレムーサを占領して二百年近く。ノマスクチュイ教東方教会の全地総主教庁鎮座地として、西方のパパポリスとならぶ権勢を誇っていたこの都市は、いまでは帝国の副都になっていた。






マフディー教の大本山に信者や出店を奪われた全地総主教庁も、すでに堕落しつつある。そうした状況に怒りをおぼえているのは、修道女のウカリィ・ケシュタだけだった。彼女は町はじまって以来の才媛といわれていたが、聖職者が祓魔師としてしか活動できない現状に不満をもっていたのだ。






そんな中、帝国の辺境にあった小島ネワロネが、怪しい光を出したきり沈黙するという事件が起きる。当初は気にも留めていなかった皇帝府だが、これを好機とみて神聖同盟がおくりこんだ騎士団が壊滅すると態度を変え、捨て駒を島へ派遣することになる。






その捨て駒として選ばれたのが、ウカリィとその目付け役魔術師ヒュッレムであった。






ヒュッレムがつれてきた拳闘奴隷フルールのボッコと使い魔オメーラも同行することになり、ネワロネ島への珍道中が始まる。






そこにいるのが、恐るべき魔物とも知らずに……。




[編集] 登場人物




[編集] 主人公



ウカリィ・マリヤ・ケシュタ(声のイメージ。以下同じ:中原麻衣

本作の主人公。ノマスクチュイ教東方教会の尼僧で、教会初の女性輔祭

全地総主教庁はじまって以来の才媛とうたわれるが、マフディー教の帝国ではたいした肩書きにならず、御業使い兼退魔師としてドサ回りの日々を送っていた。しかし突然ノーヴァレムーサに呼び戻され、守備隊と騎士団が消えたネワロネ島の謎を解くため、ヒュッレムやフルール、オメーラとともに総主教の密命を受けて島へ潜入する。

いつも笑顔でいるヒュッレムには冷たい言葉を投げることがよくあるが、これは彼女と反対の意見を出すことで、いちばん世間の常識をもっているフルールに考えさせるため。実際に彼女のおかげで、フルールがヒュッレムの無謀な作戦を修正できている。

東方教会の教えに従い、ローブと僧帽以外は身に着けていない。そのため、裾を乱したり転倒するような行動は極力さけている。戦闘時は、御業を使った後方支援担当。

ヒュッレム・バヤズィトウル・ネワローニー(伊藤静

魔術師。鮮やかな赤髪と黒マントがトレードマーク。

異教徒のウカリィに単独でネワロネ島を調査させることに不安を抱いた帝国政府が、監視役として同行させるよう圧力をかけたことで派遣が決まった。きっぷがよく豪快な性格だが、無謀で思慮に欠けるところがあり、ウカリィに「傲岸不遜と天真爛漫の境界線上で人生を送っている」と評される。

ダルヴィーシュ(清貧衆)としての身分を与えられている。実際にダルヴィーシュの小さなグループでは評定衆の地位をもち、フルールは彼女につけられた使用人だった。

名前は「ネワロネで生まれたバヤズィトの息子であるヒュッレム」という意味。名前からわかるように、ネワロネ島出身。評定衆に入ったので男と見なされるようになり、「息子」を名乗った。

今回の災厄の犯人と、何か因縁があるらしいのだが……。

ボッコのフルール(佐倉綾音

拳闘奴隷。わがままなヒュッレムの下僕として、また劇中ではなにかと主人にかみつきがちなウカリィのなだめ役として、苦労の絶えない日々を送っている。隠れ巨乳。

もともと彼女は帝国の南方で、ノマスクチュイ教徒の家庭に生まれた。しかし足腰がとびぬけて丈夫だったため、女性にもかかわらず帝国軍の異教徒部隊に強制徴用される。戦技は身につけたものの、そもそも体が鍛えられたのは故郷の野山を走り回っていたからで、人を殺す気などなかった彼女は、軍内部でも白眼視され、けっきょくダルヴィーシュに売り払われたのである。

僧院と魔物の巣を往復していたウカリィや修道グループという特殊な環境にいたヒュッレムにくらべて世間を知っているため、扱いの悪さとは裏腹に重宝されている。また、気が弱く控えめに話す割りに、その内容は正鵠を射ていることが多い。

オメーラ(山口勝平

ヒュッレムの使い魔。銀色に輝く正十二面体が、宙に浮いていると考えればわかりやすい。
ふだんはそのままの姿だが、遠くを偵察するときや物をつかむときは、十二面のうちどれかが開いて、中から触手が出てくる。あの主にしてこの使い魔といえる荒っぽい主張と、豪放な性格が魅力(本人談)。

高速で体当たりを行ったり、多数の触手で一瞬のうちに魔族たちの武装解除を行うなど、意外に戦闘能力は高い。



[編集] 帝国



プトレマイア総主教(大塚芳忠

東方教会の五総主教のひとり。洗礼名キリロス・ルカリス。ウカリィの師。

西方教会に強烈な反感をもっていて、東方教会でも有数のタカ派といわれている。西方教会(そして神聖同盟)をたたきつぶすためなら手段を選ばないと評され、また実際に帝国やマフディー教の高官とパイプを構築するなど、高僧にあるまじき非情さをもつ。そのため、悪魔に魂を売ったなどと批判されることも多い。

ただ、なりふり構わない彼の行動は、硬直した東方教会に新風を入れることにもつながっている。女のウカリィに、本来は男性しか取得できない輔祭の資格をさずけたのも、そのひとつとされる。

ソコルル大宰相(菅生隆之

帝国の大宰相。三代前の皇帝から仕える皇帝府の大黒柱。

本名ソコルル・メフメト・パシャ。フルールと同じ異教徒部隊の出身で、そこから近衛兵に抜擢されたことで政治の道を歩む。その後ブタペシュト、ドルゴルーキスク、グラナダなど神聖同盟領の大都市を次々に攻め落とし、名宰相の呼び名を不動のものにした。

現在は軍務よりも内政にはげみ、新しく領土となったハーリディーヤの安定化をめざしている。ハーリディーヤの反政府組織を鎮撫するためなら、ノーヴァレムーサのマフディー筆頭導師とプトレマイア総主教を同時に送りこむ、辣腕の政治家

ネワロネ島にヒュッレムを同行させたのは彼である。

メフメット皇帝(山崎たくみ

帝国第12代皇帝、メフメット3世。本名メフメット・イブン・ムラート・オットマーニー。

無能を絵に描いたような人物。父の代からソコルル大宰相に政務をまかせきりで、自分は後宮で愛人と戯れている。そのため帝国の情報にもうといところがあり、ひそかに侍女の嘲笑を買っている。

サフィエ皇太后(真山亜子

皇太后。西方出身で、本名はソフィア・デ・ヴェネタ。

神聖同盟諸国のひとつヴェネタの貴族。首都ヴェネタから父の領地へ向かう途中に誘拐され、山賊から海賊へ、そして帝国御用達の奴隷商人へと売りまわされて、後宮に入れられた。

息子が皇帝になり、後宮で贅沢な暮らしをしていても、自分が西方人だと思っている。そのため、ヴェネタへなんども帝国の機密を漏らしてきた。ネワロネ島の事件が皇帝府に波を立てたことを知ると、関連する情報をさぐりはじめる。



[編集] 魔界



オーゲットス・エスツェード・ナリー(喜多村英梨

ネワロネ島の大悪魔。高い情報処理能力を有する。

九尾の狐。実家は魔界でも格式の高い妖狐の宗家だが、本人の戦闘能力は高くない。そのため魔力と知力のすべてを情報収集と分析にまわしており、結局バトル担当の部下たちに守られつつ、後ろから命令だけする破目になっている。

指揮官先頭を旨とする悪魔の名族としては致命的な欠点なのだが、本人はこの点を改善する気がまったくないので、代々仕えている悪魔たちに頼ってばかりいる。

スパレリブ・スタイク・ゴード・ミーノータウロス(佐藤聡美

牛女。破壊的な腕力を誇る。

ミノタウロス(牛頭男)と(くだん。人面牛)のハーフ。そのためか、ミノタウロスの凶暴な性格が消え、かわりに件の予言能力が身についた。といっても、かなりよくあたる勘といった認識しかされていない。

腕っ節が強いのに使おうとしない、わがままな主に振り回されて困っている、胸囲が大きい、などフルールと共通点が多く、2人の一騎打ちという場面では、戦わずに彼女と世間話をしていることもある。

“ニャル・ウニド”小林さよこ(野上ゆかな

異国の蛇女。魔法力は魔界でも屈指とされる。

に化ける蛇魔は悪魔のなかでも伝統ある一族で強大な力を持っていることが多く、彼女もその多数派に含まれる。物理攻撃どころかウカリィの御業も、予測できるものならおおむね反射できるという恐ろしい力の持ち主。スパレリブと組めば無敵を誇る。

だが、上記のような実力をもつ強者にもかかわらず、彼女はオーゲットスに絶対の忠誠を誓っている。理由は不明。

イマージン・ノバ・バグベア(江川央生

黒助。西方で有名な悪魔。

魔界でちょうど激化した主導権争いで、妖狐より優勢となったダークエルフ陣営の差し金で送られてきた。ナリーたちに関する情報をできるだけ多く得ることが目的のため、目の利く彼が選ばれた。

だがその能力をオーゲットスに知られ、ネワロネ島では偵察部隊を率いる(おしつけられる)ことが多い。また、低級魔族を組織化して指令を出すなど、個人プレーが多い悪魔のなかでは例外的に集団戦法を得意とする。

監視役ではなくパーティーの一員として市民権を得ているオメーラに、ひそかな嫉妬を覚えているらしい。



[編集] その他



ネワロネ(沢城みゆき

伝説の大魔術師。実在したかどうかは、人によって判断が分かれる。

伝承によれば、まだネワロネ島が別の名前で呼ばれていたほどの大昔に、彼または彼女が一夜にして住民を抹殺し、彼らを生贄にささげて悪魔召喚の儀式を行ったとされる。この伝承と劇中で語られるネワロネ島の事件には共通点が多く、ウカリィは悪魔召喚の可能性を疑っている。

シンクのラスール(小山力也

マフディー教の教祖。ラスールとは「使徒」の意。

約千年前、ジャズイラ地域の都市シンクで貿易商を営んでいた彼は、あるとき全宇宙を支配する唯一絶対の神「シャダイ」に遣わされた天使から啓示を受け、自分より後に現れる偉大な使徒マフディーについて、シャダイの言葉を世に広める使命を負う。彼のような人間を、「神の言葉を預かった者」ということで「預言者」といい、彼は五大預言者の五人目とされる。

当初、彼のグループは多神教を奉じる都市富裕層に迫害されていたが、教えに共鳴した人間が多数にのぼるようになると、聖戦を宣言しシンクを支配下におさめた。世俗領主としても有能であった彼は、その後ジャズイラ地域の都市を次々に攻め落とし、マフディー王国を建国したが、その直後に死亡する。

逸話が多く、特に偶像崇拝を堅く禁じた話が知られるが、天使に呼びかけられたが幻覚と勘違いして家に逃げかえった、上衣の袖で寝ていたを起こせず外出時に袖を切りおとした、金銀財宝をもって誘惑する悪魔に一家団欒を求めて追いかえしたなど、庶民的なエピソードも多い。

ナシラーフのカーサー(坪井智浩

マフディー教に語られる人物で、五大預言者のひとり。ラスールより六百年ほど前に、内海東部で活動したとされる。

マフディー教では、世界創造から数えて四番目の大預言者で、三人の先達が正しかったことを証明するため奇跡の力を神に与えられた男と説明される。彼は世界の終わりに際してはマフディーに先んじて再臨し、悪を滅ぼすマフディーのための準備と補佐をつとめる。

ちなみに、彼の名前を西方共通語で読むと「ナザラのカスク」、ノマスクチュイ教でいう救済者ケースクの俗名となる。このことから、マフディー教徒はノマスクチュイ教徒を「未完の信心」と呼び、ノマスクチュイ教徒だけは奴隷となっても労役に手心が加わるなど、帝国の他の被差別階級とは違う扱いがなされる。

マフディー(長島雄一

マフディー教に語られる人物で、「先導者」の意味。はるか未来、世界が荒廃した末にあらわれ、現世の悪を打ち倒して最後の審判へ人を導くとされる。

ラスールは彼について「私などよりも、この世のすべての預言者よりもはるかに偉大なお方」と語ったといわれ、この他にも盲目的といえる崇拝の記述が聖典に著されている。

聖典によれば、彼は幼いころに幾多の苦難を味わう。だが、それによってみずからの使命を悟ってからは万人の上に立つ資質を身につけ、悪の軍団やその首領に惑わされた愚かな不信心者たちを粉砕するのだという。

このあまりに大きな存在感のため、紛争でありがちな救世主を名乗る反乱軍リーダーは、マフディー教の信者が多い地方ではまだ現れていない。少しでも人間的欠点をさらけ出せば、すぐさま「ダッジャール」とみなされ、聖典に書いてある通りの作法で私刑にあう危険が高いためである。

ダッジャール(三宅健太

マフディー教に語られる人物で、「偽者」の意。世界の終末にあらわれてマフディーを騙り、外道の術で人を惑わす大悪人とされる。

ラスールもこの者については口を極めて罵るだけで、言行をまとめた聖典には具体的な描写がほとんどなく、ただ片目が潰れていて額に焼印が押されていると書かれている。

このため、似た特徴をもつ者が現れると帝国ではつまはじきにされるが、法学者によると片目が潰れているのは「未完の信心」、額に焼印があるのは「知識奴隷」の比喩とされ、ノマスクチュイ教徒の知識階級、すなわち西方教会がマフディーを妨害することを予言しているといわれる。

アクアヴィヴァ総長(中田譲治

ノマスクチュイ教西方教会の巨大修道会「モンマルトルのノマスクチュイ教友会」の総長。本名クラウディオ・アクアヴィヴァ。

その権力は西方では絶大で、すでに教友会を通じていくつかの小国を乗っ取っており、西方教会教皇を動かして騎士団や艦隊を望む場所に送り込むこともできる。

サフィエ皇后からヴェネタ経由で伝えられたネワロネ島の災厄を聞き、神聖同盟の軍事介入をたくらむ。



[編集] 地名・用語




帝国

物語のおもな舞台となる帝国。大陸中央部、ダーラルマフディー地方すべてを支配する。ここ半世紀で遠征を繰り返し、大陸西方にある「西の内海」の東部地帯も併合した。

公文書などには「世界の王の王にして最も偉大なるオットマーンおよびその正統なる後継者の帝国」と記されるが、帝国領内はもとより西方や東方にあっても、ふつう単に帝国といえばこのオットマーンの帝国をさす。西方も東方も、歴史上「皇帝」とよばれるものが立ったことはあったが、今は名乗るものがないためである。

帝都は初代皇帝が即位した町シウス。しかし西方の旧レムーサ帝国を併合してからは、その帝都だったノーヴァレムーサがひきつづき副都の地位をあたえられ、現在の帝国はこちらが政治経済の中心となっている。

帝家の祖オットマーン族長から数えると300年、初代皇帝オルハン戦士帝からでも270年の歴史をもち、安定した政権が大陸中央部の交通を独占しているため、周囲からみても豊かな国である。しかし超大国にふさわしい軍備も整えているため、周辺の国家は「同じ手を出すなら拳より右手」つまり戦争より交易を優先している。

マフディー教の聖地シンクが領内にあり、教祖ラスールの子孫(アシュラーフ)一族は帝家と婚姻関係を結んでいるので、マフディー教は信者が多いだけでなく、もはや帝国の住民にとって生活の一部といえる。

ただし、開祖オットマーンに臣従した「タタ人」でなければ出世は難しく、公用語もマフディー教徒の共通語といえる神聖ヤーリブ語ではなくセルチュク語(俗ヤーリブ語と東方ハン語の混合語)なので、聖地シンクをかかえるジャズイラや五千年の都市文明をほこるハーリディーヤなど南西地域の住民は、帝国の高官を見下しがちである。

ノーヴァレムーサ

帝国の副都。帝都ではないが、現在では皇帝をはじめ、ほとんどの政府官人がここで政務をとる。

もともとは旧レムーサ帝国の帝都。(オットマーンの)帝都シウスよりも圧倒的に発展していたため、レムーサを滅ぼした征服帝メフメットはノーヴァレムーサを副都に定め、政治経済の中心とした。

レムーサの国教だったノマスクチュイ教東方教会の総本山があったので、今でも全地総主教庁はノーヴァレムーサに置かれている。このことから、東方教会は帝国の強い圧力をつねに受けている。

ネワロネ島

内海東北部に浮かぶ小島。物語の舞台。

岩山と評されるほどにやせた土地が特徴。巨石文明の遺跡がある以外は見るべきものもなかったが、二百年ほど前から帝国商船の略奪をねらって西方の騎士団が要塞を築いていた。

百年近く前、騎士団は帝国軍の攻撃によって退去したが、島は急速にさびれる。その後今回の事件が起こるまで、帝国政府で島を気にするものはなかった。

ハーリディーヤ

帝国の東端にある地域。豊かな土地で、隣国パールサとの領土紛争が続いていたが、ここ30年ほどは帝国が支配し、政情も安定してきている。しかしこの地域の治安を確実にするため、ソコルル大宰相はかなり神経を使っている。

外伝「Diggers'n'MySoul」の舞台。

マディーナ・アッサラーム

ハーリディーヤの中心都市。分かっているだけでも、マフディー教の二倍ほどの歴史を誇る古都。巨大な都市だが、それゆえに周囲から貧困層がながれこみ、過激派武装組織が根を張っている。ソコルルはここに筆頭導師をおくりこみ、過激派の威信を失墜させようとした。

外伝「Diggers'n'MySoul」の舞台。

プトレマイア

内海南東部にある都市。西方の英雄が築いたとされ、町並みの美しさが有名。東方教会プトレマイア総主教庁があり、西方との会談でも使われる。

ヴェネタ

神聖同盟の加盟都市。同盟の金庫番としても有名。

小さな港町だったヴェネタは、中世に入り海運海賊に重点をおいた経済で飛躍的に発展した。現在でもその気風は根強く、やっかみと軽蔑をこめて「金勘定謀略にかけては西方一」などといわれる。

パパポリス

神聖同盟の盟主。ノマスクチュイ教西方教会の教皇聖座を有する。

旧ロムラス帝国の帝都。帝国が滅びてからは近辺に教会領と同盟諸国が交錯しているが、政治力ではパパポリスが内海沿岸で随一とされる。モンマルトル教友会など、修道院の本部も多い。

マフディー教

中世シンクの実業家ラスールを教祖とする宗教。大陸中央部で圧倒的な強勢を誇る。

ラスールなど五人の預言者たちが言行によって遺した神の律法を守り、徳と信心を忘れずに生きれば、荒廃する未来にあって絶対唯一神シャダイが遣わすマフディー(救世主)が世界を終わらせる時、永遠の楽園に行けるという。来世利益的な一神教。

大陸中央部の宗教地図はほぼマフディー教一色に染まっており、特に帝国の領土とほぼ一致する中心部は「ダーラルマフディー(マフディーの家)」と呼ばれるほどである。しかし、東のパールサや西のマンスィーヤなど、帝国以外のマフディー教国もある。

ラスールより先に現れたとされる四人の預言者は、ノマスクチュイ教の三大預言者および救済者ケースクと同じ人物をさすことがわかっており、ノマスクチュイ教の影響がうかがえる。

ノマスクチュイ教

大陸西部で支配的な宗教。古代ナザラの宗教家カスクを教祖とする。

マフディーではなくカスク(ケースク)を救済者(ノマスクチュイ。「嘘いつわりのない呼びかけ」の意)に位置づけ、また一定の偶像崇拝を認める点を除けば、マフディー教と似た教義をもつ(実際はマフディー教がノマスクチュイ教に似ている)。

古代ゲミニア帝国がロムラスとレムーサに分裂したとき、教団も東方と西方に分割された。その後西方ではパパポリス聖座、東方ではノーヴァレムーサ全地総主教庁をトップに独自の発展を続けていたが、ノーヴァレムーサ陥落とともに全教団の中心地がパパポリスに移る。

ダルヴィーシュ

マフディー教の異端派。清貧衆とも書かれる。

厳しい自然環境に身をおいて、人の内にある性質を見つめることで、人を創った神の意志を知ろうという托鉢修道僧がまとまり、グループで放浪している。彼らすべてを率いる教団はなく、数十人から百人ほどの小さな旅行団に別れ、それぞれの団長と評定衆(幹部会)が行動を決定する。

アシュラーフ

ラスールの子孫たちの総称。社会的な地位は高く、帝国では帝家との婚姻が許される数少ない家系だが、経済的には困窮している家が多い。昨今では、賤民奴隷上がりの裕福な商人などが、血筋に箔をつけるためだけにアシュラーフと縁組することもある。

ベイ

地域の司令官知事など、地方官の名。あるいは、社会で名誉ある人とみなされた男性への敬称。広域総督はベイレルベイ、特別区知事はサンジャクベイ、軍団長はマムルークベイなど、呼び方にいくつかのバリエーションが存在する。

悪魔

マフディー教およびノマスクチュイ教に登場する、神に反逆する存在。カースクやラスールなど、預言者はたいてい悪魔から試練を与えられる。

また魔術師が異世界から召喚した魔物も、この世界から逸脱している=神に反逆していることから悪魔と呼ばれる。かれらの故郷は、ふつう魔界と呼ばれる。

魔導説

マフディー教およびノマスクチュイ教への疑問。口にしただけで異端とされる。

どちらの宗教でも、神は祈りを聞きとどけるとされる。それなのに、助けを求めて神に祈る人を前にして、なぜ神は何もしないのかという疑問は、以前から提起されていた。そして従来は、悪魔が神の御業を妨害しているから救いが至らないという説が一般的だった。

だが、魔導説では悪魔を「創造主」と位置づけ、そもそもこの世界を創造したのが悪魔だから人類は悪事をくりかえすのだ、と説いた。つまり唯一神を否定したのである。すぐに提唱者は処刑され、記録の抹消によって今ではその名前すら定かでない。

「魔導説」という呼び名は“この世は魔に導かれたという説”という本論をあらわすだけでなく、“魔に導かれて生まれた説”という非難もこめられている。



[編集] 単行本


話替社発行


  • 第1巻:2669年09月

  • 第2巻:2670年08月

  • 第3巻:2671年10月



[編集] パイロット版



  • ネクロネシアと基本的に同一の世界観を持つ。この作品では大魔術師ネワロネの生涯が描かれている。



[編集] Diggers'n'MySoul




  • 本編終了後の世界を描いた外伝。全3巻。



[編集] ストーリー



本編で描かれた「ネワロネ島の怪」から十数年後。

帝国降伏十周年の記念式典にわいていた教皇都市パパポリスで、「怪」と同様の事件が発生する。東方との少ない折衝で耳にはさむ程度だった西方教会はなすすべがなく、またたく間に怪現象は神聖同盟諸国へと広まってゆく。

事態を重くみたアクアヴィヴァ総長は教皇と連絡をとり、教皇に仕える聖騎士を召集する。といっても、相次いで倒れてゆく人々の中に聖騎士も少なからず含まれており、けっきょく生き残りがいることを確認するまでに教皇庁は15か月を消費。その間に、神聖同盟諸国は無政府状態に陥っていた。

いたるところに死が蔓延するなか、唯一惨禍をまぬがれたアルビオン王国に、二人の女性が向かっていた。

彼女たちの名は、“二ツ星”チヌレーノと“狂い咲き“ヒバナ”。共にこの怪現象を止めるべく、三人目のパートナー“外れの墓守”シャーベを迎えに行くためである。



[編集] 登場人物



シャーベ

墓守。本名シャーベ・ル=スコップ。
アルビオン王国の北辺にあるインヴァネスの森で、早世した親から受けついだ集団墓地を管理している。インヴァネスの村人いわく「低地移民」で、名前の由来は先祖が仕えていた領主のスコップを守る役目だったかららしい。

もちろん戦闘はスコップでおこなう。墓守などという仕事を一人でやっていたからか膂力はあり、白兵戦が得意。

チヌレーノ

修道女。姓はない。

口減らしのためパパポリス近郊の教会に捨てられ、付属の孤児院で育ち聖騎士となっていたが、怪現象に遭遇し町でただ一人の生存者となる。その経験を買われ、敵地潜入の役目をおおせつかる。

旅がはじまったころは、田舎者まるだしのシャーベやそもそもどこの誰とも分からないヒバナに不信感を抱いていたが、彼女たちの戦いぶりを見てから徐々に考えを改めてゆく。流れ物の苗刀を使う。

ヒバナ

鉄炮衆を自称する女。

サイガの里、というエスパーニャ王国の寒村から出張。東洋からの移民の子孫で、脇に抱えたり型に担いだりする巨大な銃“イシビヤ”を得物としている。

戦闘時はその大筒を豪快にふりまわして周囲に散弾をあびせるが、そうでないときは豪快に笑って周囲に唾をとばす。機嫌がいいときは、いつも(大筒を担ぐため)異様に筋肉のついた右手で相手の背中をたたくので、チヌレーノは辟易している。



[編集] がんばれ女狐ちゃん




    本編で描かれた「ネワロネ島の怪」につながる前日潭。

    魔界ではすべての源とよばれた大帝ブラフマーが激務で昏倒し、誰かが副帝として政務を処理せねばならなくなった。いわゆる大空位時代の始まりである。

    厄介なことに、副帝の有力候補は二柱あった。

    一柱は、“明星”とよばれる、外様ながら容姿端麗、頭脳明晰、巧言令色ついでに逸物雄渾という誰がみても完璧なルシファー。もう一柱は“破壊神”のあだ名で知られる、強引に魔界を改革してきた譜代の代表格シヴァである。

    さらに、シヴァとならぶ譜代領主で穏健派の“守護神ヴィシュヌがルシファーへ身を寄せ、以前からブラフマーの現状維持政策に不満を持っていた外様の大物“高い城の男ベルゼバブがシヴァの支援を始めたことから、数々の血縁・地縁・法縁によって、魔界は混沌とした状況におちいってしまった。

    そんな中、格式はあるが領地があまりにも辺境すぎて政争と無縁だった妖狐の宗族ナリー家も、一門にうけつがれる高い魔力を目当てに両陣営から誘いがかかる。

    頭領のミケツは悩んだ末、後継者のオーゲットスを武者修行に出してごまかした。家中のごたごたで参戦どころではないと言明したわけだが、当の本人はミケツから、内紛で手柄をたてられる程度の実力をつけるまで帰ってくるなと命じられていた。

    オーゲットスと家臣たちの孤独な戦いが、いま始まる。


[編集] アニメ版




[編集] 『魔法大系ネワロネ島』




[編集] スタッフ



シリーズの原点といえるアニメ版『魔法大系ネワロネ島』だが、発表されたスタッフは関係者を驚かせた。

ぱれっち☆ウィッチ』、『殺したいほど愛してる! The animation』に続き、問題作しか発表しないといわれた株式会社パッチガーデンの三作目という点もさることながら、美奈神NET-ARROWといったパッチガーデンと関係の深い人員から「R」景守渓など別分野で有名なクリエイターまでが一堂に会したことも、その理由だった。

そして、癖の強さでも名高い彼らが破綻なく一本のアニメーションを制作できるのかという危惧もあったが、よくいわれる作画崩壊超展開もなく、完成度の高い作品としてノベライズ・シリーズ化まで実現したのは周知のとおりである。

これによりパッチガーデン、なかでもその主力製作班であるパッチワークスは大手と肩を並べる有名アニメーション会社として、その名声を確かなものにした。





[編集] 外部リンク






 


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私はここで力尽きました。参加者のどなたか、書いて。
つーか、脳内キャストが有名人に偏りすぎててどうしようもなくダメな感。

2009年8月31日月曜日

習作その6 超限戦 第一章その1(仮)

本編を試験うp。




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 東海の北辺に、扶桑群島という島の連なりがある。



 扶桑の民は倭族とよばれ、古くから文明の恩恵にあずかってきた。

 「三国志」によれば、漢朝の時代に天子への拝謁を願い出てから朝貢をつづけ、中華の文化をよく学んでいた。
 東夷の遠いはずれにありながら、何十人もの留学生を送ってきたこともある。

 だが、ひとたび中原が乱れると天領の侵食はなはだしく、あるときは倍達国を略取し、あるときは関外と盟約をむすび、はなはだしくは江北七省を陥とすことすらもあった。


 そのため、今上朝は多くの夷狄のなかでも倭族をとくに警戒した。
 そのかいあって、第七代神宗の御世には、ふたたび扶桑を中華の武威のもとへ服させることができた。

 ところが、このころの倭族は中華の文明に何のありがたみも感じなくなっており、それどころか武力にうったえた天朝へ恨みさえも抱いていた。

 そこで神宗は、近国の倍達に勅を発して、よく諭すよう命じた。
 倍達の民は高麗族とよばれ、古くは扶桑の朝貢使をしたててやり、また新しくは扶桑とともに国を興すなど、彼らと関係のふかいものが多く住んでいたためだ。

 それ以来、扶桑のことは高麗族にきけ、というのが漢人の常識になっている。
 扶桑に入る漢人など、都督府の官人ぐらいのものだった。





 少なくとも、今までは。
 




 






 最初に動いたのは、耳だった。

 無遠慮きわまりない鳴き声。当たり前だ、犬なのだから。
 だが明らかな断末魔ともなれば、遠慮がどうのといっていられない。

 そこで犬の飼い主、河合彰義はとっさに考えた。

 自慢ではないが、草葺の平屋。まだ本土の大飢饉が及んでいない扶桑では、略奪に来るには向かないとすぐわかる家だ。
 気配は二人分。無頼漢にしても、腕はないと見ていい。
 だが、囲炉裏の火を落としてもう長い。枕元の有明行灯(小型の行灯)の光だけを頼りにここを見つけたのなら、それなりの能力はあるのか。

 そんなことを考えて脇の長刀をひきよせ、低く問う。


「夜も遅くに、どなたですか」

 相手が誰だかわからない以上、敬語を使うに越したことはない。
 扉の向こうで、誰かが息をのんだ。
 こちらが起きたのが、そんなに予想外か。悪かったな。

「拙僧たちは旅のものだ。宿場を通りすぎてしまったので、今夜一晩の宿をお願いしたい」

 返ってきたのは、かなり若い男の声だった。
 語尾が震えているのを隠すように、わざと横柄な口調を使っているようだ。それにしても拙僧といいながら、それが宿をたのむ仏教者の態度か。

「このようなあばら屋で、よろしいものでしょうか」

 へりくだりながら、言外に断ってみる。

「これも何かのご縁。どうかお願いしたい」

 無視された。
 なお悪いことに、河合は気づいてしまった。



 こいつの言葉は、中原官話だ。


 
 中原官話は、もちろん中原の方言だ。
 そして、扉の向こうにいるのは仏僧。

 中原の仏教といえば少林寺が通り相場、とうぜん倭族ではなく高麗族だろう。少林派の高麗族とこれ以上の問答を続けても、面倒になるだけだ。
 最近は少林寺も、とまらない治安の悪化で神経過敏になり、最近は舌より腕のまわりが早いという噂がある。とくに扶桑で権勢をふるう高麗族ならなおのこと、下手をすればこんなぼろ屋など、扉を壁ごと蹴倒されかねない。

 あきらめた河合は、寝巻きの帯に刀を腰に差してから懐提灯(折りたたむと上下の蓋が合わさる、円筒状の提灯)へ火を移し、手に掲げて扉を三寸ほど開けた。



 扉の前にいたのは、雲水(旅の仏僧)姿の若い男と娘だった。
 さっきえらそうな口を利いたのは、この雲水らしい。娘のほうは長衣(チャンオッ。高麗服で、女性の上衣)と裳襦(チマチョゴリ。女性用の高麗服)らしき上下もうす汚れ、本人に至ってはかなりやつれた顔だが、袖からのぞく左のこぶしが白くなっている。
 距離的にも精神的にも、かなりの強行軍だったようだ。

「失礼ですが、ご尊名は?」

 かなり警戒しているような口ぶりが効いたのだろう、雲水がはっとした顔になる。

「いや、これは申し訳ない。拙僧は空離、見てのとおり仏門の徒だ。こちらは、ご縁あって帯同させていただいている馮お嬢さん」

 ためらいなく名を口にするあたり、とくに追われている訳でもないようだ。もちろん偽名かもしれないが、そんなことを言っていては話が進まない。

「・・・どうぞ」

 まだ警戒を解いちゃいないぞ、と顔全体で示しつつ、それでも河合は二人を家に招きいれた。



 土間と板の間しかない家を照らしつつ、背後の雲水に聞いてみる。

「お坊さまがたは、歩いていらしたのですか?」

「いや、馬だ」

「では牽いてきましょうか」

「お気遣いありがたいが、すでに近くへ繋いである」

「はあ」

 こいつら最初からいすわる気だったな、河合は腹の中で毒づいた。
 これだから高麗族は嫌いなんだ。あいつらだって同じ蛮族のくくりなのに、中華文明のにない手は自分たちしかいないと思い込んでやがる。



 腹が立った河合は、いざという時のために保管しておいたなけなしの干飯を、空離とかいう雲水ではなく、馮というらしい娘へ先に渡した。
 理由はなくもない。
 どうみても疲れているのは雲水より彼女の方だったし、先ほどから一言も声を発していないのが気になっていたのだ。

 雲水も文句を言わなかったので、河合は安心して、白湯を沸かしにかかった。





 慎みを感じさせつつ、それでもかなりの速度で干飯と野菜の浸しをたいらげたとたん、安心したのか疲れが出たのか、“馮お嬢さん”はその場で寝息をたてはじめた。

 空離が彼女を床に寝かせ、自分の羽織っていた上着をかける。
 河合も、とくに何も言わない。
 彼が使っているたった一枚の毛布はいいかげんすりきれて、客人に使えばむしろ無礼にあたるしろものだった。

 そうでなくとも、倭族が日ごろ使っていたものを彼らが使いたがるのかどうか、河合には自信がない。

 出された座布団が汚れていたといって、見廻りにきた高麗族の官人が里の組頭を無礼打ちにしたのは、あれは去年のことだったろうか。
 被災者扱いされた彼の葬儀では、河合も召集されたものだ。


 そんなことをつらつらと考えていると、馮お嬢さんにつづいて食器をきれいにした空離が、それらを脇にのけてこちらに目を向けていた。

「いかがなされました?」

 視線に気づかれたのが腹立たしいのか、空離は河合をにらむ。

「いや、なんでもない」

「何か、お気に障ることでも?」

「気に障ることならないでもないが・・・いや、この家ではなく、道のりでな」

 そういったきり、黙っている。

 何か話したがっているのだと、河合は見当をつけた。
 ああ言えば、近くで何か変わったことがあったのかとこちらが興味を持つ、そこでしぶしぶ事情を説明するという腹だろう。

 なんとなく不愉快になったが、彼は話を続けることにした。
 里から離れた場所に住んでいれば、いやでも情報に疎くなる。月に一度、知人と会うことになってはいるが、彼が前に来たのは数週間前だ。
 相手が誰でも、情報はほしい。タダでくれるならなおさらだ。


「何か、あったのですか?」

「ああ」

 誘いに乗ると、空離はいきなり声を低くした。
 眠っている馮お嬢さんを起こさないための気遣いばかりではない。あきらかに、そのままの話し方では声が大きくなると予測して押し殺している。

「村が焼けていた。住んでいた者たちが、皆殺しにされたあとでな」

「は?」

「だから。村がひとつ、丸ごと皆殺しにされたのだ」



 なんだ。
 そんなことか。



 一瞬でしらけた河合に気づかぬようすで、空離は自分たちの旅路を事細かに話しはじめた。





 空離は俗名を馮地瑞といい、馮お嬢さんは同郷の親戚だった。

 彼の実家は湖南の農村地帯で、流れ者の子孫にしては破格の土地を持っていた馮一族も、当然のように大地主(たまに官人の御用聞き)として生活している。
 だが、彼らの領地は特に土の質がよい。
 あまりに多い税を課すこともないため、小作人の評判もいい。

 そんな調子なので、近辺の雇われ者や流賊がくりかえし襲ってくる。
 馮家が土地持ちになってすぐのころに、二十年ばかりそういうことが続いたため、世代のひとりにどこかで拳法を学ばせ、その代の護身術とするのが慣わしになっている。
 とはいえ、彼らだけで広大な領地の治安は守れないので、腕に覚えのあるものを近隣から集め、時には襲ってきた資格や龍族などから人員を引き抜いて、馮家につながる隊商を警備させたりしていた。

 ところが、地瑞の代には彼のほかに、もうひとり功夫(肉体的・気功的な素質)に秀でたものが出た。

 それが、馮お嬢さんである。


 馮家警備隊の屯所でもある近くの道観(道教寺院。所によって武術の道場もかねていた)で見てもらった結果、彼らは二人とも中原の道場で武術と気功を学ぶことになった。
 見立てをおこなった坤道(女の道士)も、地元ではひとかどの武芸者として通っていた。だが、彼女は自分よりもはるかに素質のある二人を、洗練された武門のない南方でくさらせるわけにはいかないと考えたのだ。

 南方に、優れた武術がないわけではない。
 鏢局(運送・警備企業。武芸者が学ぶ場でもある)や道場、秘術の数でいえば、むしろ中原より多い。人口密度と貧富の差があるので、荒事も絶えないからだ。
 だが、南方は単に門派が乱立しているというだけで、内容も喧嘩殺法を体系化しただけのようなものが多い。それどころか、門派を名乗ってさえいない連中がかなりいる。
 つまり、地瑞や馮お嬢さんがめざすような、武の道をきわめようとする正統派は、南方では世間に出てこないのだ。

 彼女はすぐに、筆を取った。
 外功(外家功夫。力技)にすぐれ、内功(内家功夫。心気の技)にも成長の余地がある地瑞は、拳法の名門である曹洞宗少林派に。
 内功にすぐれた馮お嬢さんは、気功法の名門であるとともに護身剣術も指南する全真道崋山派に。
 それぞれ、紹介するためだ。

 彼ら二人は無事に入門をとげ、蒙をひらく時期こそ遅かったものの、師ですら目をみはる速さで成長をとげていった。

 そして、それから数年がたったころ。



 時は、今上帝の初年。

 先帝の末期、五帝家すべての血を引くと自称して権力をにぎった、黒衣禁衛の江済世総衛(将軍)はすでに故人となっていたが、彼の後継者によって政治はみだれ、無策のつけは民に押しつけられていた。
 皇帝府はといえば、皇統を一本化しようと宮廷劇に走りまわるばかり。
 さらに水害や干害がつづき、暴動にまで発展しつつあった。

 大規模な暴動は、まず湖南で起きた。
 古くから「熟すれば天下足る」といわれた湖広の土地は、天下を食べさせることはできても地元住民を食べさせることはできなかったのだ。

 つまり、収穫のかなりの部分を帝都に持っていかれたわけである。



 悪いことに、馮家は総督の命で、州の穀物流通をとりしきっていた。





 暴動の数週間後、少林寺で空離と名乗っていた地瑞のもとに、馮家炎上の報が届いた。

 先帝の誅殺から、半年ほどたったころである。

 



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ここから主人公にどうつなげようかな。

もうつなげなくていいかな。