2009年10月29日木曜日

習作その8 超限戦 第一章その2(仮)

続きを試験うp。




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 鏢局、という言葉がある。




 倭語ではなじみのない言葉だが、あえて誤解を恐れずに言えば、ちまたで水軍、八幡、悪党、山侍などと呼ばれているものたちの総称だ。
 つけくわえると、主家や親会社のある彼らよりも独立性が高い。
 
 似たようなことをして生計を立てる集団を鏢局とおおざっぱに呼んでいるが、その業務内容もなりたちも、大きく三つにわけられる。

 仕事についていえば、寸断された公共流通のかわりに運送業、その荷を盗賊から守る警備業、そして万が一のときの保険業の三つだ。



 このように、治安の悪化した今では実力行使の場面がとても多くなる職業だが、そうはいっても鏢局は花形産業ではない。

 天朝では、支配階級とは士大夫(知識人)以外にない、という伝統が数千年の長きにわたっていた(また、現在もその風潮が強い)。官吏としての立身出世をめざすなら、武道は無益どころか有害ですらあったのだ。
 日常的に暗殺の危険がせまるほどの高位になれば別だが、実際に武芸をよくする文官は、いつまでも差別される宦官出身者ぐらいのものだった。



 そういうわけで、鏢師たちの前職も限られてくる。





 






「あの、申し訳ありませんが」


 平生にあるまじき蛮勇をしめししつつ、河合は話を遮った。
 そのような無礼なことを、倭族ふぜいが一度でも行えばどうなるかわかってはいた。
 だが、もういつ無礼討ちになってもおかしくない状況だし、なにより驚きを隠せなかったのだ。



 この俗名を馮地瑞というらしい雲水の話は、もともとどこかの村が丸ごと焼けていたというところから始まったはずだ。
 それ自体は珍しくない。彼にとっても官人にとってもだ。
 むしろ、官人と同じ高麗族の地瑞がなぜそんなことを気にするのか、その点を疑問に思うだけだった。


 ところが話題は、彼と隣で眠りこけている馮お嬢さんの身の上話に移る。
 すでに焼けた村となんの関係もない。


 どこかの湖岸の豊かな農村で地主の家に生まれ、大陸本土の名門道場に入門したなどという話を聞き流したが、ここでも驚く所はなかった。
 位の高いものが低いものに自慢話をするのも、またよくある話。僧籍でもなんでもそれは変わらない。
 しいて言えば、倍達国を「南方」と呼ぶのが気にかかったぐらいだ。


 そして実家が飢饉で暴徒に焼き打ちされた、というところまで話を引っ張っておいて、今度は鏢局とやらについての解説である。
 いいかげんにしてほしい。


「ああ、わかっている」


 顔に出たのだろうか。
 雲水はあっさりと、河合が何も言わないうちに答えた。

「鏢局と私たちに何の関係があるのか、と言いたいのだろう?」

「ご無礼を仕りました」

 すぐさま頭を下げて身の安全をもとめる河合に、雲水は簡単なことさ、と力なく笑った。





「わが馮家を襲ったのが、その鏢局なのだ」





 鏢局に三種類の業務と成り立ちがあることは、すでに述べた。
 実は、そのなりたちのうち二種類は、地瑞の話に実例が登場している。


 ひとつめは、馮家そのものだ。
 馮家は親族だけでは手が足りず、近隣から武芸者を集めて、自分たちと取引のある隊商を護衛させている。ここに馮家の一族も参加したりする。
 つまるところ、用心棒集団だ。


 ふたつめは、坤道の推薦から漏れた「門派を名乗ってさえいない連中」だ。
 武術の門派も千差万別、千何百年の歴史をほこる名門道場から武術だけでは食べてゆけない道場まで多様である。そういう貧乏門派は実戦指導もかねて、警備業に携わってゆくことになる。



 そしてみっつめの鏢局は、盗賊団であった。



 鏢局の数が少なかった時代は、中小の盗賊団が山のようにいた。といっても物取り専門ではなく、何もしてくれない天朝にかわって農村の道路や船便を整備するなど、地域に密着していた盗賊が多い。
 治安が悪くなり弱肉強食の世界がせまるに及んで、彼らはより安全に利をえる方法を考え出した。
 つまり、通行料である。


 いくばくかの金を包めば地域を安全に通してやるという、発想は黒社会そのものだった彼らは、いつのまにかそちらの仕事が増え、金をとって荷を守ることが専門になってしまっていた。
 もちろん本分を忘れてはいないが、鏢局も儲けになるので、昨今は通行料をおどしとる程度におさまっている。



 ちなみに、治安がよかったころは、退役した将兵が部隊まるごと鏢局に転身することも多かった。
 若くして徴用された兵士たちは、手に職を持つひまがなく、退役後も働き口を見つけられない。それなら今までどおり、槍働きで稼ごうというわけである。
 だが現在は、将軍たちにかすめとられた将兵の給料は遅配気味、兵糧は現地調達が原則になっている。つまり現役時代から盗賊のようなもので、その自分たちが“本物”の盗賊を討てば同業他社はいなくなるのだ。

 というわけで、この時代には軍人くずれといえば盗賊をさすことが多い。





 さて、馮家を襲ったのは、最後の型だった。

 地瑞がのちに領民から話を聞いたところ、おおむね次のような経過だったという。





 先述のとおり、馮家は一帯の穀物流通をとりしきっていた。
 とはいえ、今は食糧難。帝都に運ぶ分だけでもかなりの量だというのに、隣の集積地までは大河を渡る長旅。となれば、人馬の食料や金銭もかなり持っていかなければならない。
 さらにそれらの貴重品を飢民から守る必要があるとなれば、軍隊の輜重段列がふだんどれだけ苦労しているか分かろうというものだ。
 馮家と食客たちだけで、守りきれる隊列ではない。


 さて、ちょうどそのころ。
 西から薬種を運ぶ隊列の護衛としてやってきた、鉄馬鏢局という一団が馮家に居ついていた。
 
 彼らはあまり言葉も通じないが、先帝の崩御とともにおきた西部の反乱で、洛陽から逃げてきた者たちらしい。難民団をつくって匪賊から身を守っているうちに腕を上げ、逗留先で警備を求められたのが始まりという。
 まだ恐怖で心が凍っているのか鏢師たちは暗い眼をしていたが、千人近くの大人数のうえ誰もが戦慣れして、頼れそうな連中だった。



 ここで、馮家の長老たちは決断する。
 かれら鉄馬鏢局を、穀物の隊列へ参加させたのだ。



 そして、その決断が、馮家を滅亡一歩手前まで追いやることになる。





 顔が醜くひきつれた総鏢頭は「小者が旗を振って、バカどもがついてきただけ」と自嘲していたが、実際のところ戦力はかなり大きい。
 さらに本来警備にあたるべき官軍は、このとき続いていた潭州の暴動に人を割かれていた。官軍も地方軍閥化しており、帝都のメシなど知ったことか、という雰囲気だったこともある。

 そんなわけで、穀物の輸送隊列は鉄馬鏢局が主力になった。



 馮家を出て数日間は彼らも事件を起こさず、むしろ他の武芸者たちから鉄馬の愚直と呼ばれるほど規律正しい鏢師たちだった。
 少なくとも手を出さない限りは、彼らが黙って引き下がっていたのだ。鏢師の間にいさかいが起こることも珍しくない共同警備では、見たことのない光景だった。ただし、下手に打ちかかって足腰が立たなくなった流れの鏢師はいたが。

 とにかく、鉄馬鏢局の実力は確かだった。ときおり飢民団が隊列を狙ってきても、すぐに撃退される。馮家の者たちが出るまでもない。
 鉄馬がいればこの御役目も安泰、そんな空気も流れはじめる。
 信用をなくせば難民集団に逆戻りだからか、鏢師たちも自分からこの評判を落とすようなまねはしない。

 結果、長江南岸に隊列がつく頃には、総鏢頭の李日進が全体の首領格とみなされるようになっていた。





 安易な信頼の報いは、すぐにやってくる。



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ここから主人公にどうつなげようかな。

もうつなげなくていいかな。